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自然災害

 今朝の新聞で、二年前の秋葉原連続殺人事件の犯人が死刑の判決を受けたという記事を見た。被告の行為は人間性が感じられず、という見出しであった。その人間性とは、被害者やその家族、友人らの悲しみや怒りを思う心のことであるあるらしい。

 小生は、非人間性についてもっと違う意味にとった。すなわち、あの秋葉原事件は、人間がやったことではない、むしろ自然災害ではないのかと。それは、あの秋葉原というまさに文明の頂点をなす一角、市民の自由と喜びと欲望にあふれる人工的な場所に、自然のまったく不可思議な領域からの突然の攻撃という印象をもつからである。

 被告の生い立ち、他人と折り合いにくい性格、怒りっぽい性格、それゆえにいじめを受け易い性格、己の主張をうまく他人に伝達できず、それでもなお他人に訴えたい衝動を抑えることが出来ず、あのような行為に走った。もっともらしい説明だ。きっとそうなのであろう。しかし、そのような彼をしてあのような大それたことを為さしめた力を小生は感じるのだ。たしかにあれは狂気である。そして狂気は遠いところから文明人の心に執り付くように感じるのだ。

 もちろん、だからと言って、彼に責任はないということではない。そもそも責任とは。死刑に処するということによって、社会が法的手続きに基づいて彼に復讐するのは、今の社会において当然である。しかし、それでどうなることでもない。新たな事件の予防になるわけではない。われわれにはどうすることも出来ない。

 このたびの東日本大震災などの、自然の圧倒的な力の前で、われわれわれはどうしようもないのを感じる。その力と同じではないか、あの被告の心の中に吹き荒れた風は遠い自然からやってきたのではなかろうか。

 われわれは、こういうとき、凶暴な自然の力の前で、泣いたり祈ったり贄を神に奉げたりした、あの古代人たちの心的状況の幾分かを呼び起こしているのではなかろうか。



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テーマ : 宗教・信仰 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

本能と法律

dandyさん、コメントありがとうございます。
仰る「人間は愚かな生き物であるという自覚」ができるほど、人間は素晴らしいものをもっているではありませんか。小生はこの感覚、つまり決して愚かでないあるXを先天的に心にもっているという点を高く買います。法律による秩序維持は、これから由来するのでしょうか?それとも、ルサンチマンによる規制でしょうか?あるいはその両方?

ご来訪ありがとうございました。

勉強になります。
愚生は人間性とは人間のすべて言動が人間性ではないかと思うので、人間の残虐性というものは結局人間にしか無いものですから、それも人間性の一部であり、人間は愚かな生き物であると自覚しているが故に、種族を保存するためには刑法などで法治しある程度の秩序を維持しなければなければならないことを本能的に理解しているのだと、愚考する次第です。

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