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ランメルムーアのルチア

 METの昨シーズンの一つ「ランメルムーアのルチア」の映画を観た。なかなかよかった。1830年代あたりのイタリアオペラはいいな。ロッシーニ、ベッリーニ、そしてこのドニゼッティ。この作品なんかはもうヴェルディ一歩手前だな。

 窮地にある領主が、妹ルチアを無理やり政略結婚をさせる。しかしルチアは密かに敵方の男と結婚を約束した仲であった。彼はルチアの結婚話を聞かされてルチアは自分を裏切ったと誤解し、ルチアを責める。あわれルチアはオフェリアと同じ運命をたどったのであった。

 こんなのを観ているといつも思うことだが、人は戦争や恋愛があるおかげでなんと生き生きするものだろう。
「かくのみし 恋ひし渡れば たまきはる 命も我は 惜しけくもなし」
あるいは今のわれわれなら演歌みたいなところに陥るのかもしれないが、イタリアの歌は、石の円形劇場からあの空に向かって響き上って行くように、まっすぐに情熱的だなあ。こちらから見つと、ちょっと笑っちゃうほど大真面目に彼らは情熱を演じるんだねぇ。負けるよ。

 それぞれの風土にはそれぞれの表現形式があり、それぞれの解決方法がある。

 イタリアの古都、フィレンツェやローマの空気を吸った人は、きっとイタリアのエッセンスを感じ知っているにちがいない。小生は行ったことがないから分からないけど。一生行けないかもしれない。まあ、それならそれでいい。しかし、あの溢れる歌の数々を聴いて、イタリアの希望を、イタリアの悲哀を、・・・・つまりイタリア的なものを完全に理解する。と、勝手に思っている(笑)。

 それにしても、音楽は感情のもっとも直接的表現だ。一芸術として分化発展してきた西洋の音楽には、圧倒的な物を感じるな。詩が音楽に憬れるというのはもっともだ。十九世紀は今になってみると、あんな時代があったのかとあらためて驚く。

 音楽におけるルネサンスをこの世にもち来ったベートーヴェンという巨木が倒れて後、新音楽に目覚めたロマン派の一群が羽ばたく。が、それは初めから不安を孕んでいて、ついにはめいめいが否応なく自分の墓のデザインをしなければならなくなった。そんな中、イタリアオペラ作曲家は純粋な音楽を幾分か捨てて、ドラマと肉声との一致を模索する道を進むことによって、救われていたと言えようか。

 まあ、オペラはその限定された肉声音楽でもって聴く人に生気を与えてくれるし、舞台は実人生ではないが、音楽と一体になることによって、われわれの日常的情動を根底から掘り起こし、洗練された姿で垣間見させてくれる。これはこの瞬間まさに実人生であって、しかも同時に救いを与えてくれるのではないのかな。

 ルチア役の女性は、ちょっと小柄で華奢だな、『ボエーム』のミミをやったら似合うかな。


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