スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

額田王

天智天皇の御世、日本軍は百済救援に出発する。その時の額田王の有名な歌:
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

素晴らしい、意気盛んな歌だな。

しかし、白村江の戦いで破れ、多くの難民が日本にやって来る。そのおかけで、わが国には漢詩文化が栄えた、と言う。・・・その4年後、天智天皇は、防衛上安全の地と考えたからであろうか、近江に遷都する。その次の年、一行は蒲生野に狩猟旅行に行く。その時の額田王と後の天武天皇の歌は、余りにも有名。

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
紫のにほへる妹をにくくあらば人妻ゆゑに我恋めやも

これは宴席での笑いの歌だというのが、近年の通説である。このとき額田王は40歳前だった。(今の感覚で行けば50歳くらいか)この才女が、宴席で誰かが袖を振ったのを、即興の歌に創った。と、そのとき大海人皇子が、その紫を取って「にほへる妹」と言って、満場の笑いを誘った、というのが伊藤博氏の説だ。とすれば、大海人も、当意即妙とはいえ、ずいぶんの冗談を言ったものだ。
しかし、昔の三角関係説より、この諧謔的雰囲気の方が本当らしいし、面白いし、明るくっていい。

だが、昨年のNHKカルチャーアワー『万葉びとの言葉とこころ』において、坂本信幸氏は、大海人の歌の原文での〈むらさきの〉は〈紫草能〉であって、この語の使用法は万葉では、紫草のことで、この花は白い清楚な花だそうだ。だから、若い頃とは違った落ち着いた白い花の美しさをたたえた女性であると、大海人は言ったのであって、満座の笑いを誘うものではない、と解釈しておられる。
そうして、額田王が天智天皇の妻であったという確証は、実は昔からない。坂本氏は、この時、額田王は後宮人であったのではないか、としている。
なるほど、この解釈の方がしっとりとしていていい。



                                                        人気ブログランキングへ
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 歴史上の人物 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

プロフィール

うたのすけ

Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。