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勾玉考3

 ところで、本居宣長は、小生のように現物の勾玉の形や美しさに決して躓くことなく、―そういうことを宣長は〈私事〉と言うー例によって古代の文献において勾玉なる言葉がいかなることを意味しているかを徹底的に言語実証的に考究している。

 例えば―

 八尺ノ勾璁のヤサカとは弥栄(イヤサカ)ではと思うが、生き物ではない玉のごとき物に使っている例はあまりなさそうだ。漢籍には七曲がりの玉に緒を通したものがある、その七曲がりを引きのばせば、八尺になるから、それを言ったという説、あるいは八坂という地名のことを言ったという説は、どうもそういうことは考えにくい。勾璁は、古代遺跡からちょくちょく発見されるあの曲がった玉のことをさしているから、曲玉と言ったのかもしれぬ。しかし勾玉の勾を曲と解することは、あまりに漢字に捉われていて、古意から外れている。『日本書紀』にはそのような漢文風の誤解が多い。それに、しばしば発掘される曲がった玉など、一般なるものであって決して特に美しいわけではない。天照大御神からこの地へ降臨する神へ受け渡されることから考えるに、八尺ノ勾玉とは世に優れて美しいものでなければならない。文字(記号)に捉われなければ、勾(マガ)とはマカガ(目赫)をつづめた言葉で、目もあやな、美しく輝くという意味ではないか、曲がっているなんてとんでもない、云々。

 宣長の言語実証主義とは、例えばこのようなことであって、彼はいわゆるフィールドワークをした人ではない。言語以外の情緒的要素はむしろ余計なことであった。伊勢の松阪に居て、入手できるあらゆる文献を渉猟した。言葉・言葉・言葉。そこから彼は上代の人のこころを発見した。もちろん、その前に賀茂真淵との邂逅があったからではあるが。

 おそらく宣長にとっては、八坂の勾玉はそもそもの初め伊耶那岐命から天照大御神(この御名はすべてを隈なく照らす太陽の輝きでなくてなんであろう)に渡された首飾り、そしてこの世に降りる際ニニギノ命に伝えられ、久しく天皇家に伝えられている、類まれなる尊い玉であって、それが皇室に流れる明るさ・美しさの根拠となっているものだ。

 その玉を誰も見たことはないかもしれないが、あの物語を生みだし、信じ語り伝えてきたということは、上代の人々の視覚中枢が絶えずその輝きに照らされていたということにほかならない・・・。



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