スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『古語の謎』

『古語の謎』白石良夫著
 
 今われわれが古典を読んで、それが書かれた当時にもそのような読み方をしていたと漠然と思っているが本当にそうであるか、あるいはある時代のちょっとした誤写からとんでもない概念の変容を受けた言葉もあるのではないか。

 著者がまず例に出すのは、万葉集にある柿本人麻呂作の有名な歌、「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」。これ専門家ならぬわれわれ一般人は、べつに何の疑問もなく昔からこう詠まれていたのだろうと思っている。ところが昔はそうでなかった。「あづまののけぶりのたてるところ見てかえりみすれば月かたぶきぬ」。鎌倉・室町時代はこのように読まれていた。

 万葉集はすべて漢字で書かれているが、この和歌は、「東野炎立所見而反見為者月西渡」と書かれている。これを古代日本人はどのように発音していたか。江戸時代の半ば過ぎて、契沖、荷田春満、賀茂真淵らの努力によって、今われわれが知る「ひんがしの・・・」となった。

 しかし、古代日本人がそのように歌っていたのかどうかは、本当のところ判らない。今後また新しい読みが発見され、一般化されるかもしれない。

 大体において、古典と言われる書物は、後世の人が書き写したものである。平安時代以前のものは、われわれが読んでいるのは鎌倉期以後の写しである。書き写しのさい、意図的にあるいはうっかりと誤写していた。それゆえ、同じ作品でも様々なヴァリエーションが伝わっている。

 契沖以後、学者はある作品を研究するさい、その作品より以前の時代の文献を引き合いに出して語彙の使われ方や意味を研究するようになり、それが古学の正統な方法となったという。しかし、元々の本文というものがあるのか、たんに幻を追っているにすぎないのではないか、また後世の改訂版を一偽書として捨てて顧みないのはどうか、むしろそれはそれで文学の再生産として評価されるべきではないのか、と著者は〈原理主義的文献学〉に疑問を呈する。

 この書を読んで感じたのは、われわれは(少なくとも小生は)江戸時代の古典発見(あるいは「古典」脱却)についてあまりにも知らないことが多いということだ。西洋のルネッサンスといえば、何となく絵画や文学のいくつかが浮かんでくるのに、江戸時代という250年におよぶ安定期に起こった文芸上のルネッサンスについてほとんど何も浮かんでこないのはどうしたことか。



 人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

プロフィール

うたのすけ

Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。