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高熱を発す

 不覚にも風邪をひいてしまった。いや風邪でないかもしれない。とにかくうっとおしかったのは頻尿である。三日前は一晩に八回もトイレにおきた。排尿も困難を覚え、強い尿意はあるがスッと出ない。出るまでが痛いと言うか、抵抗があるというか、細い管から無理やり水を流すのだが、無理に圧力をかけると却って管の途中の狭窄部が締まってしまいそうで、ゆるゆると流れだすのを待たねばならない。

 しかし、出始めると、これがけっこう快感で、自然に態勢がよくなるというか、視線が窓の外にいく。しかし、尿線は細く、晩秋に遅れてきた一匹の虫がとぎれとぎれに小声でジージーと鳴いているように、心細く侘びしい。ややあって途切れる。しかしまだ出るという感覚はある。下を向いて、しかし焦らず再流を待つことしばし。またチョロチョロ出る。少しの快感。たぶん3分くらいかかって一通り終えると、幸い残尿感はない。昼間は夜間ほど頻尿が気にならない。明るさと習慣がそうさせているのであろう。

 体の感覚によって大体の体温を予想できる。顔などのほてり感、腰や節々の痛み、とくに外界空気の独特な触感。この触感は、ふだん我々がいかにわずかな空気の温度や動きの変化を感じているか、そして熱のためにいかにこの感覚が過敏、あるいは大抵は鈍磨するか、を認識するという感じだ。

 それはちょうど、皮膚の限局した一部分に触ると痛みを強く感じたり、あるいは逆に鈍くなったりしたときに、ふだん健康なときに意識するほどではないが感じている、ある適当な感触に思いをはせる経験と似ている。

 高熱の感覚は内部感覚であって、原因は外界にあろうが体内にあろうが、息苦しさ→体の置き場所のなさという感覚と言ったほうがあたっている。

 高熱時、これは致死的な病気の始まりではないか、と思おうとした。人はなぜ易易と死んでゆくのだろうとよく思うことがあった。しかし、高熱の時は、もうただ息苦しくて、きっと死ぬ人は、今までの自分のこの世の関心事はどうでもよく、なんとか早くこの苦しさから脱しいと感じるのがせいぜいであるのじゃないかな。だから健康な時の不満などは口にしない。

 ところが、体の感覚も戻って来て、病気も回復してきたと今朝感じた。それはたしかに嬉しくすがすがしい気持ちだった。窓を開けながら、それと同時に感じたことは、またあの日常がやってくるのかという思い、もう少しあの非日常に浸っていたいという気持ちだった。

二首

 いつまでも咲くな槿(むくげ)のうすむらさき
  移りゆくこそ人の世の中

 このごろの夜はたのもし秋の虫
    いまばかりぞと懸命に鳴く


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