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雄略天皇3

 雄略天皇の話で、さらに気になっているのが、葛城(かづらき)と一言主大神(ひそとことぬしのおおかみ)が出てくるところです。

 『古事記』には、天皇が葛城山に登ったとき、大きな猪が出てきた。天皇は鳴鏑の矢を射かけた。すると猪は怒ってこちらに向かってきた。天皇は恐れを感じて榛(はり)の木に登って難をのがれた。そして歌を歌った。―

 やすみしし我が大君の遊ばしし猪(しし)の病猪(やみしし)のうたき畏み我が逃げ登りしありをの榛の木の枝

 しかし、ここのところを『日本書紀』では、天皇は舎人(とねり=側近)に猪を射よと命令したが、舎人は怖気づいて木に登った。仕方がないので、天皇自身が矢で射て、脚で踏みつけて殺し、命令に背いた舎人を斬ろうとした。と、舎人は歌を歌う。右の歌とほぼ同じ歌なんですが、歌の終わりに「あせを」という、感動を表す拍子のような言葉を付けています。

 それで、皇后が舎人を庇って天皇の残虐行為を止めるのです。そしてまあ無事に帰途に着くのですが、そのとき天皇は「人は獲物を獲った。自分は善き言葉を得た」とのたまふのです。

 宣長は、この話は『日本書紀』に語るごとく、逃げたのは舎人であって、雄略が怖がるはずはない、またこの歌には「あせを」が付くべきである、『古事記』ではどういうわけか抜け落ちてしまったのだろう、しかし『日本書紀』の、帰途天皇が語った「善き言葉を得た」なんてのは、まさに漢心(からごころ)であって、古の日本人の感覚ではないし、ましてやあの雄略がそんなことのたまふわけがない、と言っていますが、小生、喜びをもって百パーセント同感。『日本書紀』の作者たちは、全編いたる所で中国の文献を引用しまくっています。

 天皇が大勢の御供を連れて葛城山に登ったとき、その向かいの山にもまったく同様の一団が山を登っている。何だあいつらは!と天皇が言うと、向こうも同じ言葉を発する。えーいと矢を射かけると、向こうからも同じように矢が飛んでくる。

 まったく鏡に向かって攻撃しているようですね。それで今度は「名を名乗れ」と問いかけると、向こうの人は答えて曰く「私は、悪(まが)事も一言善(よ)事も一言、言離(ことさか)の神、葛城一言主之大神だ」と言った。

 それを聞いた雄略天皇は、畏れ入って、弓矢を御供たちの着ている衣服を献上した。すると一言主神は、拍手をしてそれらを受けとり、天皇が還るときに、天皇の住まい(初瀬)の近くまで送ってくれた。葛城山から初瀬までけっこう遠いのに、送ってくれたのですね。

 『書紀』では、天皇は一言主神と出会ってから、お互いに礼をもって、日暮れまで一緒に狩を楽しんだ、とあります。それにしても、この一言で悪い出来事や好い出来事を決める(宣長は解き放すという)ようなすごい神様が、いったいどうしてここで出てきたのかは知らないけれど、こんな神様と仲良くなれるとは、雄略さんすごいんじゃない、ということでしょうね。

 ちなみに、葛城山の辺りには、出雲系の神々を祀る社が多いということです。

 そういえば、『日本霊異記』という平安時代初めの気持ちの悪い、しかしとても面白そうな仏教説話集がありますね、その初めにも雄略天皇の話があります。小生はこの本まだ読んでいませんが、この話はどこかで聞いたことがあります。主人公が雄略天皇だとは知りませんでした。

 天皇が御殿で皇后とHしている真っ最中に腹心の部下がうっかり入っていた。天皇ちょっとばつが悪そう。ちょうどその時、うまいぐあいに雷が鳴った。天皇はその部下に命じて曰く「あの雷を連れてこい」。部下はとにかく雷を地上に呼んだ。

 その後、部下が死んだとき、天皇は部下を讃えて、「雷を捕らえた何某」という碑文を立てたが、雷はその碑文を憎み、その立ててある柱に落ちて壊し、足蹴にしようとしたら、その柱の割れ目に引っかかって取れない。それを聞いた天皇は雷を引っかかりから解いて助け出した。…

 これ雷神をも畏れぬ雄略天皇の話でした。




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