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雄略天皇5

 先日たまたま書店で、文庫本の『古代史がわかる万葉集の読み方』という本が目に留まった。だいたい、こういう書名の本を読みたくなるほど素直ではなくなった小生ではあるのに、なぜか魔がさして手に取ってしまいました。パラパラめくると、雄略天皇御製がどうして巻頭歌になっているのかという項目がありまして、もちろん読まずにはおけません。

 するとなるほど、これは求婚の歌ではあるが、それよりも、後半の「…そらみつ大和の国はおしなべて我こそ居れわれこそいませわれこそは告らめ家をも名をも」という部分がポイントであって、これは大和の覇者の名告りの宣言の歌である、とあります。

 「新春の若菜摘みは、ヤマト王権の大切な農耕儀礼で、それに大王が出席して、名告りを行う、ということが毎年行われていたのであろう。」と書かれている。いったい誰がこんなことを述べているのだろうと、著者を見てみますと、なんと今をときめく上野誠先生ではありませんか。もう、ははーと頭を下げるしかありません。

 先生さらに続けて、だから「巻頭歌はヤマト王権の新春の儀礼の台本のような役目を果たす歌だった…これは伝承された歌であって、雄略天皇個人の歌であるわけではない。…いつの間にか、この伝承歌と雄略天皇が結びついた、ということになる。」

 では、どうしてそうなったのか。「おそらく、雄略天皇が、国土統一の英雄として、ヤマトの統治者の名告りに、もっともふさわしい大王だったからであろう」と上野教授。

 では、とさらに一歩を進めたくなる。どうしてして荒々しい雄略天皇がヤマトの統治者としてもっともふさわしいと当時の人々が考えたのか。どうして新春儀礼・詩歌集・雄略天皇が結びついたのか、例えば仁徳天皇ではなく、まあ堂々巡りみたいだけれど。こういった疑問は、われわれ現代人の感性の試金石ではないでしょうか。

ついでに、こういう疑問にも結び付きます。どうしてその和歌集に、犯罪人や遊女や乞食らの歌をも一緒に載せてあるのか。

そもそも『万葉集』がいつごろ編纂されたのか、というより様々な伝承歌から少しずつ最終的な編纂に向けての作業、国民文学として凝結させていった古代・中世の人たちの心を想像するのは面白そう。




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テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

No title

umama01さん、こんばんは。

どうして、そうなったのかよくわかりません。まあ、それが日本だというしかないですね。
今の道徳感覚は当時と比べるとだいぶん変質しているようですね。
おそらく我が国は文字のない時代から「言の葉のさきはふ國」であったと想像します。

No title

>その和歌集に、犯罪人や遊女や乞食らの歌をも一緒に載せてあるのか。

……日本には伝統的に差別がなかったってことじゃないでしょうかね?
もしくは職業的に貴賤はあっても、和歌としての価値を評価するのにそれを持ち込まなかったと。。。
しかし、世界史をある程度知っていると……乞食や遊女でさえも和歌を歌えるという、古代日本の知的レベルは空恐ろしいものがあります。

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