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『枕草子』4

  『枕草子』286段(能因本)

 ここは珍しくもっぱら海の話であって、清少は、イメージの連想の赴くままに、新鮮な目を放っています。

 うららかな日、青緑色の海上に色彩豊かな衣服の男女が舟歌を歌いながら櫓をこいでゆく感興。風が吹いて海が荒れると一転して、恐怖に襲われる。船荷が多くて縁が喫水線すれすれなのに、下衆の舟男たちは平気で動き回っている様子。

 と思うと、自分が居る舟の室には妻戸や格子があって小さな家の中にいる感じである。そこから遠いところにある舟を見ると笹の葉を散らしたようだ。それらが夜は火を灯しているのは素敵だ。

 早朝、小さい舟が漕ぎい出でてゆくのはじつにしみじみと心にしみる。それらは「あとの白波」(*)のように、あっと言う間に消えてゆく。身分の高い人はこんな頼りのない舟乗りなどはすべきではない。

 海女を見ているとつらい。男は舟の上で鼻歌など歌っているが、縄を腰に付けて潜る女は命懸けだ。その縄が切れたらどうするのだろう。やっとの思いで上がってきて舟側につかまって息をしているのを見ると涙がでてくる。男はどういう気持ちでいるのだろう。…

 これが清少の目なんですね。

 ところで、文中の*「あとの白波」というのは、『拾遺集』などにある

世の中を何にたとへむ朝ぼらけ
   漕ぎ行く舟のあとの白波

から取ったものだと解説にあります。この元歌は『万葉集』351の沙弥満誓(さみまんぜい)の

世の中を何にたとへむ朝開き
   漕ぎ去にし舟の跡なきごとし

だと思われます。この二つの歌を比較してみると、後者満誓の歌のほうが〈今あったものが無い〉ということを直接的でスパッと言っていますね。世の中はあっという間に変転するものだ。

清少が引用したと言われる歌は、重点が「あとの白波」であって、それはあとの白波のようにすぐ消えてゆくという意味でしょうが、小生には、むしろ〈あとの白波がある〉と感じられます。

つまり、この世はあとの白波ばかり、形骸ばかりである。それを残す本源の力=現実の運動はどこにあるかといえば、すでにこの世でないところにある。この世とはすべてその運動が残した軌跡にすぎない。しかしその形の何と美しくしみじみとしたものであろうか、なんて考えてしまいます。



理屈っぽくってごめんなさい。


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