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『枕草子』5

 ―青春という夢

 清少納言は、有力な説では、橘則光という人と結婚をし、一子をもうけたが離婚、その後中宮定子に仕えた。清少は女房としては位が高くなかったらしいが、その才気と文学的教養を中宮に買われ、清少は定子中宮を中心としたサロンの〈素晴らしい〉雰囲気を最後まで愛し続けた。

 とはいえ、それはそう長い期間ではなかった。初出仕してから二年後、定子の父、藤原道隆が薨去し、徐々にその弟道長が力を得て、5年後には道長の娘彰子を中宮となす。その同じ年、定子崩御。おそらくそれから間もなく、清少は宮仕えを辞したとされている。

 ちょうどこのころ、紫式部は、道長によって彰子中宮のサロンの女房に抜擢された。紫は、二年前に夫に先立たれ一子の母となっていた。『源氏物語』を書き始めたのもこの頃らしい。

 宮仕えを辞した清少は、その後どうしたのであろうか。今のところそのあたりについて書き記されたものはなさそうだ。『枕草子』の様々な写しの中の一つ、能因本(平安後期の能因がもっていたヴァージョンの、さらに室町時代の写し)には、最後に奥書のようなものが付いている。

それによると、中宮定子が亡くなり、世も変わって後には、どこかに仕えるということもなく、頼るべき親戚もなかったらしい。老年におよんで尼姿に身を変え、乳母子の縁故に頼って、阿波の国(徳島)に行き、そこで粗末なあばら屋に住んだ。

 ある人の目撃情報では、この老婆、ヘンな帽子のようなものをかぶって、青菜を干しに外に出て、「昔の宮人姿いずこにありや」と独り言を漏らしていたそうな。彼女には、あの青春の宮仕えの思い出しか残っていなかったのであろう、しみじみとあわれに思われる、とある。

紫の予言は当たったとはいえ、実際あの少女の晩年がこんなになろうとは、やはり憐れで、心がジーンとするではありませんか。

 しかし、ひるがえって思うに、紫式部の人生こそ、始めから終わっていたのではないだろうか。彼女に〈青春〉といえるようなものがあったであろうか。あったとしても何か辛い経験の負荷を与えられただけではないだろうか。だからこそ、父の越前赴任に同行したのではなかったか。

その後、求婚されたところで単純に喜んだとは思えない。27歳で結婚し、一子をもうけたが、二年後には夫は他界する。その経験がさらに彼女の心に確信を与えたと思う、この世に人が生きるということの意味。

間もなく、今を時めく道長に懇願されたとはいえ、何を今さら宮仕え・・・すでに暗い諦念が、彼女の心の底に流れる主調低音となっていたのでは? 『源氏物語』を書かねばならなかった彼女の気持ちを想う。




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テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

紫式部

危うく忘れそうでした、『紫式部日記』の続きをものすることを。
紫式部という人間のことを想像すればするほど、なにか復讐の怪物というか、この現実生活の一切・・・罪、夢、諦念、救済、etc・・・の一切を、美によって袋詰めにしてしまうような鬼と思えてなりません・・・・。

初めから

終わっていた紫式部の人生、まさに納得です!、
だからあの泰平のロマン「源氏物語」が生まれたのでしょうねぇ~、

文学的には紫式部の方が評価されるのかもしれませんが、
不遇な晩生だと言われる清少納言の生涯の方を私は好みます・・・

No title

umama01さん、こんばんは。文章を書くということには、たしかに〈現実〉から逃れるためという場合が多いでしょうね。また、人によっては、〈ただ生きている〉だけでは面白くないから書く、ということもあるのでしょう。
まぁ、人間は話をしたり物語を読んだり作ったりするのが好きな生き物ですねぇ。PCインターネットはそのためには何と便利な機械でしょう。今では、原稿用紙に文字を書いて口を糊しなければならなかった昨日の作家は大変だったと思えますね。そう言えば、三島由紀夫だったか誰だったか忘れたけれど、作家は肉体労働者だと言っていたですね。
そのうち、キーボードを打たずに、声を出せば(これはもうあるようですが)、さらに寝ながら頭で文章を考えるだけで、画面に文章が出てくるようになるでしょう。らくちん、らくちん。
でも、便利だから幸せかどうかはわかりません。誰でも自分が生まれ育つ時代が当たり前だと思っているでしょうから・・・。

No title

彼女がかな文字を使って文学を書いたのは、現実から逃れるためであった……でしょうか。
少し前の時代でも物書きが非業の死を遂げることが多いのは周知の事実ですが……
まだ豊かではない時代。
文学に呑めりこむ=労働ばかりの現実から逃避する……という公式からは逃れられないのかもしれませんね。
逆を言えば、特に何もなくてもブログとして文字を公開できる今の時代が、どれだけ恵まれていることか……ということでしょうけれど。

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