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浦島子伝説

 
 『万葉集』に水江(みずのえ)の浦島子(うらしまこ)の物語が長短歌として出てきます。(巻第九1740・1741)この話は、後に室町時代の『御伽草子』の中に浦島太郎として伝えられ、今では誰もが知っていますね。

 この浦島子の話は、すでに『日本書紀』の雄略天皇条にもわずかながら触れられていますし、『丹後風土記』逸文にも出て来ます。微妙な違いがあるものの、奈良時代初期にはすでに古くからの言い伝えがあって、きっと古代人たちはこの物語をよく話してたのではないかと思います。

 この物語は、小生は以前からとても気になっていまして、浦島子が海で釣りをしていると、遥かな沖合から女がやって来る、仲良くなって常世に至り、老いることなく歓楽の日々を過ごします。

 常世っていうのは、『雄略紀』では蓬莱国、『風土記』では海中の蓬山、『御伽草紙』では竜宮城なんて書いてありますが、日本はさすがに海の民なんですなぁ、そもそも我が国でいちばん偉い神様である天照大神が、あの伊勢におわしますようになったのは、『垂仁紀』にある、「この神風の伊勢の国は、常世の波の重波帰(しきなみよ)する国なり・・・ここに居たい」と仰ったので、倭姫はこの地に宮を建てたとあります。

 それで歓楽の日々ではありましたが、浦島子は故郷のことが気になって、「ちょっと家に帰って父母に会ってきたい、すぐ帰って来るから」と言う。海の娘は、「じゃ、この櫛箱をあげます、けっして開かないでね」

 故郷に帰った浦島子は、まだ三年しか経ってないはずだが、なんじゃこりゃ風景が一変している、知っている人は誰もいない、おっそうだ、この箱の中に何かヒントがあるかもしれんと、開けてしまうのですね。と、白雲が立ち、あはれ浦島子は一気にしわくちゃ老人になり、呼吸も絶え絶え、ついに死んでしまうのですね。浦島子、故郷に帰りたいなんて気を起こすから、馬鹿だねぇ、と反歌で歌われています。

 小生はこの話を思うたびに、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を連想します。詳しいことはすっかり忘れていますが、画家が美青年の美しさを残したいと肖像画を描くのですが、現実の美青年は少しも衰えず、絵の方が歳をとっていくのです。それで最後は、美青年がこの肖像画を壊すことによって、自分の老いを取り戻す、って話だったかな。たしかこれの映画版があって、その主人公は美人女優でした、彼女も老いることが出来ず、自分の映像がどんどん老いていく、とても怖い映画でした。

 常世の国に行った浦島子は、海の娘に時間を取られるのですね。そこにおいては永遠の美と悦びがあるが、じつは架空の生を営んでいるのですね。誰でも健康で心配事がないときは、このまま長く生きたいと思うものですね。しかし、よくよく想像してみると、今の幸福が百年続こうが、一万年続こうが、一日の、いや一瞬の幸福とどこが違うのでしょう。仮に一万年生きて、振り返ってみたら、きっとやはりあっという間の人生だったと感じるに違いありません。

 そのことは、例えばわれわれが住んでいるこの辺りにその昔、恐竜が何億年間ものあいだ、のっしのっしと歩き回っていたと想像しましょう。ところでその何億年間を一瞬のこととして想像しても少しも差し支えありません。正しく味わうためにはわれわれも何億年生きる必要はありません。

 そもそも時間というのはなんでしょうかね。われわれが一秒とか一年とか口にするとき、つまり時間の長さを言うときには、まあ月や太陽の運動から時間の単位を取って来るのでしょうが、頭の中では空間を測定するときのイメージを思い浮かべ、しかし心の中では空間とはちがう原理の、いわば内的な生きられる直観を感じているのではないでしょうか。

 それこそ、アウグスチヌスの言う「わたしは時間の何たるかを知っている、しかしそれを説明しようとすると解らなくなる」という類のものでしょうか。小生もそのような気がします。つまりそれは誰にとっても生きているという事実以外のものではない、と思います。

 強いて言えば、誰もが感じるあの感慨をもって、時間が経つということは老いることだ、ということだと思います。これがもっとも直接的で具体的な表現ではないでしょうか。そして浦島子伝説はこのことを逆説的に表現している古代人の直感から生まれたものではないでしょうか。



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テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

No title

淡青さん、これを現実に体験した人の話と考えると、面白いですね。そう考えると、こんな不思議な話を淡々と述べている古代人の生きてい世界はなんと広かったのかと驚きを新たにします。
あの竹の中から出てきた美女と宇宙軍団の話もそうですし・・・。

解脱

umama01さん、もちろんいつまでも語り継がれる物語は生に深く根ざしたものであるはずです。
そして生のもっとも顕著な存在理由は性でしょう。

で、近代人におけるエロスのわな。
歳をとる→取り返しがつかない→人生は楽しい→青春は性旬なり→いつまでもと望む→現実に反することを夢見る→時は流れる→歳をとる。
この円環の中で、新しい生命が誕生し、それが成長して同じことをいつまでも繰り返す。
この円環を断ち切ろうと思うと、エロスの極点で死ぬこと→天国行き(解脱)

No title

うたのすけ殿、お久しぶりでございます、

万葉集でのこの浦島子は御伽草子のまさに
フィクションの浦島太郎と違って、遠き昔そういう
体験をした人間が存在したのではないかという
ロマンを感じるのは淡青だけでしょうか・・・

古代人の直感は現代人がすでに哀しいかな
失くしたもののような気がします・・・

No title

何かで見たときは、時間を忘れ干からびるまで精を絞られたってのもあったような。。。
私個人はそういうエロスなの大好きなので、そっちを支持しておりますけれど……
基本的に物語は生と性を語るものが多い……と、とってつけたような言い訳はさせて貰います。。。
桃太郎も、流れてきた桃は回春効果があったとか……。

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