スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

曲水の宴

にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ
にほんブログ村

「曲水の宴」は、テレビでちらっと見たことがあるだけですが、京都の城南宮が有名ですね。これは、いつ始まったのかよく分かりませんが、我が国では「顕宗紀」に初出です。

 「顕宗初年、三月の上巳に、後苑にいでまして、曲水の宴きこしめす。」とあって、これ西暦485年、3月6日です。『日本書紀』作者らが、かってに中国文献からとってきて編入したのかもしれませんが、まあいいでしょ。その後日本では、婦女子の祝いの習慣と一体化して、三月三日が五節句の一つ、桃の節句として今に続いています。

 中国では、書聖として有名な王羲之(おうぎし)の『蘭亭序』に有名です。西暦353年3月3日、名士たちが、蘭亭という、会稽山の麓にある自然公園にある四阿(あづまや)で、「禊事をして、流杯曲水…一杯一詠」を楽しんだとあります。

 この王羲之の『蘭亭序』は、書を習う者の必須手本ですね。小生も書道を習っていた時、よくこの書体を練習させられたものです。これは当時からよほどの名書として有名であったらしく、王羲之の書いたものをすべて蒐集していた唐時代の太宗皇帝は、死んでなお自分の陵に副葬させたという。原本はもとよりなくなっています。

 奈良の大仏で有名な聖武天皇も王羲之の書を手本にして筆の勉強をされているということを耳にした鑑真は、本物の王羲之の書を持って来日したらしいですね。聖武天皇の遺愛の品々が収められている正倉院にも、もちろん収められたのですが、平安時代は嵯峨天皇の御代に貸し出したという記録があっても、返却したという記録がなく、当時能書家としてトップを争っていた人、たとえば三筆のだれかが犯人ではないか、という話をきいたことがあります。

 曲水の宴の記述は、顕宗紀から後はずっとなく、文武天皇の時代になって、やっと見られるという。たしかに調べてみると、『続日本紀』の文武天皇701年にあります。まあ、記述が無いから行われなかったとは限りませんがね。

 『蘭亭序』の記述にある曲水の宴は、なんかとても規模の大きいものだったように想像されますが、どうでしょう。
 「此地有崇山峻領、茂林脩竹。又有清流激湍、映帯左右。引以為流觴曲水、…」(觴は杯みたいなもの)

 我が国の古の曲水の宴は、どんなふうだったのでしょうか。たぶん今の城南宮などでなされているような、小じんまりした、ささやかで、ゆったりしたものだったと想像します。



 
人気ブログランキングへ
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

プロフィール

うたのすけ

Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。