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西行1

  

いまNHKの大河ドラマで「平清盛」をやってますね。あれを見ていて、気になるのは、やはり佐藤義清(のりきよ)です。まあ、出家しちゃったから、あまり出てこないかもしれませんが。西行ってあんな人だったんだろうか、ほんとうに待賢門院への恋が出家のきっかけだったんだろうか、とかいろいろ穿鑿したくなりますね。

 ここでこんな声が聞こえてきます。「まあドラマなんて創りモノだからほとんどが事実ではない。」と。それに対して小生はいいたい、では事実はどこにあるか。当時書かれたものが、事実であると思うのは無邪気で人がよすぎる。古今東西、書かれたものは書かれたものにすぎない。それに人は本当に〈事実〉を知りたいと思っているのであろうか。

 リンゴが木から落ちた。もしこれが事実だとすると、なるほどこれは事実にすぎない。これが、どのような容態であるか、美しかったのか、死を連想させたのか、あるいは月の運動を連想したのか、要するに人の心がそれに関連してどう感じたかが面白いのではないか。ドラマが面白いのである。

 それに対して、そうだ人の心が事実なのだ、事実を知りたいというのは本心を知りたいということなのだ、と人は言うかもしれない。それには小生も同意しよう。ただ、人の心は〈本心〉があると言うにはあまりに微妙過ぎて、ゆえにドラマの良し悪しが生ずるのだ、と付け加えねばならない。

 それはそれとして、佐藤義清こと西行は、23歳にして妻子を捨て出家したのは、彼の心によほどのことが起こっていたはずである。仮に待賢門院との交情がきっかけになったとしても、それはきっかけであるにすぎない、彼の心中深く隠された思いが、出家(世を捨てる)という形をとったきっかけであるにすぎない。もちろん当時、〈出家〉するということはそうめずらしいことではなかったようだが。

ある女に惚れて妻子を捨てたというだけの話なら、今の世にもゴマンとある限りなく〈事実〉に近いつまらない話である。西行は出家後おそらく待賢門院には逢って!はいないだろうし、出家したと言っても、完全な僧侶になって仏事に専念したわけでもない。それどころか、鳥羽上皇や崇徳院の成り行きを気にかけ、かつての北面時代の一部の仲間たちとの交友を保ち続けた、という話を信じたい。

要するにあの当時、律令制が土地争いを治めきれず、武士が政治にコミットし始めようとする猛烈な変革期に政治から完全に心を離すことはできなかったであろうし、また当時は上皇も大臣もよき歌人でもあった。彼はたんに世の中が厭になって逃げたとは思われない。こういう歌を信じる限りー

  世の中を捨てて捨てえぬここちして
       都はなれぬ我が身なりけり

だから彼の表面だけを知って、じつに曖昧な奴だと思った人は当時から多かったであろう。しかし、じっさいに彼に会ってみれば、彼の心の中の何か強い確信めいたものに触れて、自分の彼に対する誤りに気付いた人もまた多くいたのではないかと思う。

彼ははまだ若いころから武士(とはいってもこの時代いわば在地武装農民、都においては貴族の番犬)の身分でありながら和歌を詠った。まだめずらしいことだ、彼には歌の天性の才があったのだろう。小生は、以前から彼の歌を読んでいて、これが上手い歌なのであろうか、とも思い、しかし、吟じてみてじつに自然に心に響くというか、何度も口ずさみたくなり憶えてしまうような歌が多いと思っていた。有名な―

  心なき身にもあはれはしられけり
        鴫たつ澤の秋の夕暮れ

西行と言えば月と桜と吉野山を連想するのが一般であるかもしれない。しかし、彼の歌に触れていたことのある人なら誰でも、単にいわゆる花鳥風月を愛でるというものとはちょっと違うなと、感じるのではないか。小生も漠然とそう感じていていたのだが、テレビで「平清盛」を見ていて、また西行についての疑問が湧きあがってきた。


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