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西行2

     

小生の疑問はこうである。彼の歌は『新古今和歌集』に、どの歌人よりも多く採られている。しかし『新古今』の雰囲気と『山家集』の雰囲気とはかなり違う。しかし彼の歌が『新古今』に一番多く採られているという事実は、当時の編者らが西行の歌がよいと当然思ったからではないか。

 桜花夢かうつつか白雲の
   絶えてつれなき峰の春風 (家隆)

 春風の花をちらすと見る夢は
  さめても胸のさわぐなりけり (西行)

 まあ、例えばこんな違い。『新古今』の雰囲気とは言っても、一言では言えないくらい広いけれど、小生おもうに、『新古今』の技巧の向かっていく先は、歌が観念上のただの言葉遊びになってしまうぎりぎりの繊細さと巧みさである。たとえば、有名な定家の「見わたせば花も紅葉もなかりけり…」である。

小林秀雄は上手いことを言った、『山家集』を読んでいるとどうってこともない歌が、『新古今集』の中に置かれると断然光って見えてくる、というようなことを。良い歌なのかどうかはともかくとして、なるほど違って見える。この違いはすなわち、西行は世を捨てて山の中の庵で、花鳥風月の表現に心を燃やしたというような人ではなかった、非常に強い自意識の持ち主であった、そしてそれがそのまま歌になった、ということに他ならない。

ちょっと穿った見方かもしれないが、『新古今』の当時の歌人らは、自分たちの美学上の危機を西行が救ってくれるのではないかと期待したのではないだろうか。危機の行く先は、反動として遠く〈古今伝授〉という奇怪な暗い秘義を生むきっかけになったのではないか。

あの時代に、つまり12~13世紀に、西行のような思索家と、『新古今和歌集』のような美の爛熟とが出現したことを、小生は驚きの目をもって見る。ここで力をも入れずして天地を動かす歌の沸騰と崩壊とが起こったように感じる。


 
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テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

桜のせいか?

淡青さんのinspirationすごい。そちらでは桜を剪定するのですか…まあ、枝が伸びすぎてくれば樹形が壊れますからね。
それにしても、かなり枝の元から切ったから、あのようなグロテスクな形になったのでしょうか。
小生も梅の選定は終わりました。
西行には早くからある確信があったのでしょうね。そしてまたとても素直な人だったと思います。

実は

うたのすけ殿がこの時期に西行のことを書かれるという予感が
ここに来る前にあり、あぁ~やはり・・・という感です。

先月剪定した家の老木の桜もやっと開花のようで、
これからちと気ぜわしくなるようです。

西行が女性への想いで出家とはとっても素敵な発想ですが、
残念ですがそうはおもえません・・・
うたのすけ殿もご指摘のように自意識が高い(過剰?)彼には
このような他人の影響の受け方はないはずだと確信しております

でも人間さまざまでわからないから面白く、もう少し生きてみても
いいのかな~とかなんとか想う今日この頃です・・・

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