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ディキンソン著『大正天皇』2

皇太子夫妻には4人の男子が生まれるが、側室を置かなかった大正天皇は、このことにおいても新時代を画する見事な天皇として国民に称賛されたはずである。そしてこの頃から普及してくるカメラも、子煩悩な皇太子の家庭を捉えていて、それは国民の目にも触れた。

行啓における皇太子の〈自由な〉行動は、国民に歓迎され、「皇室と人民との接近」が云々されるが、著者は、これすべて行啓計画者の仕組んだものだと書いているが、小生はそれはあまりにも嘉仁皇太子の〈人となり〉を消去した意見だと思う。すでに書いたが、大正天皇は生まれながらに非常に特異的な御性格であり、このことが、はからずも「皇室と人民の接近」を大いに前進させたと、小生は感じるのである。

 19世紀末、ヨーロッパでは皇族が世界を周遊するのは当たり前となっており、ロシア皇太子、ギリシャ王子、オーストリア皇太子が日本にも来航してきている。そんな折、嘉仁皇太子も世界を見てみたいという夢を漢詩に著されており、また「世界漫遊の歌」をとくに好んで歌われたそうである。

 世界漫遊はできなくても、嘉仁皇太子は史上初めて海外に行かれた。それは明治40年(1907年)の韓国行啓である。これは、韓国を保護国化した日本が、日韓関係を円満化するためであって、残念ながらその効果はよくなかった、という意見があるが、それは大した問題ではないと著者は語る。

 著者は書いている、「植民地における統治国への憤慨は当然であり、皇位継承者の日本史上初めての外遊にはより大きな目的があったように思われる。それは近代国家、そして、近大帝国としての日本の20世紀の新しいアイデンティティに焦点を当てることであった」。

 過去のあり方をやたら道徳的に批判したり、今の観点で過去を見ようとするような日本人にありがちな歴史家が多い中で、こういった当時の状況に身を置いてみる態度は気持ちがいい。当時の日本は、帝国主義―植民地という〈世界標準〉に日本的な仕方で従っていただけのことである。



  
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