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ディキンソン著『大正天皇』3

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1912年、明治天皇崩御、そして嘉仁親王の践祚。『ニューヨーク・タイムズ』は一面全体で紹介、「嘉仁は日本の近代的精神に完璧に合致し、いろいろな意味のおいても父宮には達しえなかったヨーロッパの風習にそめられている」、その理由は、西洋式の東宮御所、洋装好み、一夫一婦制、身体丈夫でテニス好きな皇后節子など。『ウォールストリート・ジャーナル』には「陛下はアメリカの長老と親しく話し、両国間の親密な関係に触れ、アメリカについて深い知識をしめした」。

 明治天皇は明治初期の画期的な変化を熱望した。が1880年代からその願望から心が離れていった、というのも、明治天皇の日本の急進的な西洋化に対する〈違和感〉があったからだ、という意見を紹介した後、著者はそれはいわゆる世代交代であり、「明治天皇はいまだ統一前のいわば伝統的なアジア風の農業国家日本の産物であった」と書いている。

 当時のグローバルな状況から絶えず目を離さない著者ではあるが、日本独特の明治維新の意味や江戸時代の秩序、文化、教育などについての知見がやや欠けているように所々で感じるが、今はそれを措いておく。

しかし、「嘉仁(大正天皇)が儀式を嫌ったのは明治天皇と同じことであるが、大正天皇は性格的に20世紀初頭の国際的スタイルとぴったり合っているのは睦人(明治天皇)と大きく異なるところであった」と書くところは見逃せない。

大仰な儀式を嫌ったのは、明治天皇は質素倹約からだと思われるが、大正天皇はさらに大勢の人に取り囲まれることがお好きではなかったと思われる。また大正天皇は、お生まれになった時から西洋化の雰囲気の中でお育ちに成ったのであるから、役割をお果たしになれば国際的スタイルに合うのが当然である。むしろ嘉仁皇太子の御性格は国際的スタイルと何の関係もなかった、あるいはそれを飛び越えていたと、小生は言いたい。

 もちろん、天皇は個人ではなく公の御存在であり、著者の基本姿勢であるところの、歴史は人々の目に表れた通りのものであるとするなら、例えば、「嘉仁が、明治天皇の葬儀を除いて、天皇として参列した最初の国家儀式が大観艦式と陸軍特別大演習だったことには大きな意義がある。」とし、これは当時の立憲君主国の標準的形式であり、「嘉仁は立派な大元帥を演じた」ことになる。



  
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