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オペラ周辺

先日、東京文化会館でウィーン国立歌劇場演じる『アンナボレーナ』を聴いた。約1時間半の第一幕が終わって25分間の幕間がある。いつもはトイレのあと館内でコーヒーを飲むが、今回は何となく気分転換に外に出たくなった。

 文化会館の正面から出てすぐ車道を挟んで上野駅であることは、行ったことのある人なら誰でもよく知っているところである。そのまさに車道の手前の歩道と文化会館の敷地との境界辺りに、ビニールシートを敷いて、その上で毛布にくるまろうとしている一人の老婆がいた。シートの脇には、小さな手押し車ときちんと揃えた白いスニーカーが目を引く。

 いったい何でこんな人通りに独りで巣を作っているのだろうと思った。そのとたんこの人に話しかけたいという誘惑から離れられなくなった。

 とにかく、ごつごつした石畳にビニールシートを敷いて、そこに直に寝ようとしているのが不思議である、しかもやせ細った老婆なのだ。

 「こんなところでいつも寝るの?」

 「そうだよ。ホームレスだからね」(声はしっかりしている)

 「こんな石の上に寝られるの? とても痛そうだし、冷たいんじゃないの? 下に敷く布団はないの? エアーマットひけば、痛くないし持ち運びもらくだし・・・」

 「ああ・・・そんなの高くて買えないよ。明日の食事すらおぼつかないのに。・・・(二枚の毛布のうち一つを見せて)それでも、昨日この毛布をある人がくれたんだよ」

 「こんな車も人も多い道路脇じゃ、うるさくて ゆっくり寝られんでしょう」

 「・・・」

 「あっちの公園の方なら、もっと静かで、下が柔らかいところもあるのじゃないの?」

「あっちの方にいると変な男がやって来るから・・・」

 (えっ? 小生は一瞬思った、この老婆を襲う奴もいるのか・・・あっ、そんな意味じゃないのか・・・)

 「なるほど、こういう所のほうが安全なんだ。」

 「そうそう。あっちは変なのがいるから。」

 「家が近ければ、布団の一枚もあげられるけれど・・・(そういえば、田舎の家を改装したとき、沢山の古い布団や毛布を、公園や川沿いに住むホームレスの人たちにあげたことを思い出した)。ちょっと遠すぎる」

 「いま仕事帰りなんかね」

 「いや今日は仕事は休み。世の中には空き家もいっぱいあるし、布団も余っている人もいっぱいいるのに・・・何とかならんものかねぇ」

 「世の中うまくいかんものだよ・・・とにかくうまくいかんよ」

  ・・・

 小生は、自動販売機のコーヒーを飲んでから席にもどった。第二幕が開いた。ところが、さっきの老婆のことがしきりに頭に浮かんできて、どうもオペラに集中できない。

舞台では、ヘンリー8世や王妃たちに扮するマイスタージンガーたちが、愛、名声、裏切り、罪、苦悩などのキリスト教文化圏的言辞をもって熱唱している。観客はたった3時間のために5万円以上も払って、今回はグルベローヴァ最後の公演とあっては1音も聴き逃すまいと息をのみ、芸術のもたらす喜びの限りを味わっている。

そしてこの会場のほんの100メートルも離れていない石畳の上で、あのお婆さんが「とにかくうまくいかんよ」と呟きながら毛布にくるまっている。このコントラストが、―もっともこのような情景はよく見るものではあるがー、なんとも小生の空想を掻き立てた。

有り余る豊かさを享受している王や王妃らが、苦悩に呻いていて、王妃は最後に発狂するが、冷たい石の上に寝ているお婆さんは冷静である。言うことは、両者ともに「うまくいかん」である。しかしいかに上手く表現するかに全神経を集中させている歌手たちから発せられる苦悩は、いわば純化されて、お婆さんの苦悩を遥かに超えている。もちろん歌手たちは、お婆さんのようなホームレスたちがわんさと居る現実を十分知っている。が、それがどうした。それどころではない。いや、それこそ詩の素材として必要だ。

それはちょうど、千載・新古今の時代に、戦乱や飢饉のために加茂川から漂ってきた死臭を嗅ぎながら、そんなことは先刻ご承知の内裏の詩人らにとってみれば、遥かに遠くを目指す自分たちの夢のほんの一部が実現されたにすぎない、といったようなものだ。

もちろん、観客は普通そこまで遠く夢を見ないにせよ、演者らが生み出してくれる詩に参与しようとする。しかし、観客に取ってそれは己の拙い夢を正統化してくれる幻である。舞台がはねて帰路につく。そこで路上に毛布にくるまっている老婆と小さな手押し車を見て、冷めかけた夢がすっかり冷めてしまい、なんと汚らしい光景だと思う。

そして社会は、この汚らしいモノを目の前から排除するように動いている。とくに文化国家となればなるほど、そういう傾向が強くなる。99パーセントの健常人からはみ出たもの、知恵遅れ、かたわ、気ちがい、乞食・・・そういったものを、そういう言葉すら差別用語として排除しようとする、じつに込み入った言い訳的中和化。

かなり昔は街中でも見られてものだが、この頃は病院、コロニー、施設なんかに入れられてあまり見られないようになった。さて、見苦しいものは排除されて街はきれいになった。しかし、それにともなって健常人は夢見る力が減少していった。薄っぺらなニュートラルな万人向きの美しい街。美しいとは言っても、けっしてあの秘められた美、至高の静謐、そういった領域はない。

ああ昔の、恐らく戦後しばらくそうであったかもしれないような混沌とした、極度の聖俗・清濁入り乱れた、危険でダイナミックな社会がやってこないものか・・・。そこでこそ新しい詩が生まれるであろう。・・・

まあ、このような取り留めのない空想が、払拭しても払拭してもやってきて、目の前の舞台も音楽もほとんど耳目に入ってくる余地が無かった。これで小生は3万円くらい損をしたものと思われる(笑)



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テーマ : art・芸術・美術 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

No title

履歴書の封筒さん?少しでも喜んでいただいたら、嬉しく思います。何度でも遊びに来てください。待ってます。

No title

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。

No title

未見太郎さん、音楽がお好きなんですね。『ラボエーム』の歌はいいですね。
オペラの鑑賞にはいろいろな側面があると思います。ストーリーが面白い、演出に興味がある、舞台芸術として、とくに音楽とマッチしているかどうか、とにかく音楽が好き、歌が好き、なんとっても声が好き…。思うに、この声の魅力にとりつかれる人が多いように思います。こういう場合は、やはり生演奏に接するのがベストでしょう。そして、より名人になればそれだけ値が張るでしょう。後は市場原理です。噂と宣伝に釣られて、またリッチな雰囲気を味わうためだけにおしゃれして出かける人も増えましょう。この族のためにさらに値が上がる。
そこに、芸術の客観的な価値と商品としての値段というやっかいな相克が生じますね。高価な骨董となると泣けてくるほど厄介な問題となって、ついには「なーんだ、あっという間の一生、ばかばかしい、自分は自分」という思いになって・・・、結局ほどほどのところで手を打つしかなく、まあ人は自分の手に入る範囲内で夢を見るしかないのではないでしょうか。

No title

はっはっは、umama01さん、まじめですねぇ。もちろん、あらゆる体験は、頭に浮かんだことですら、貴重です。今回の演奏も一回きりなら、老婆との出会いも一回きりです。そして毎日の生活も一回きりですね。いずれにしろ、そこに何か新しい感動があれば儲けものだと考えます。

No title

己の拙い夢を満たしてくれるのに、音楽鑑賞の方法は色々です。私は ラ・ボエームを、小さなシネマで三回みました。ストーリーも、クリスマスイヴを、貧しい芸術家たちがお金をあつめて・・・という友情
を扱っているもので、歌詞の中に(心は億万長者・王侯貴族よりも豊かで・・)というあの歌など大好きです。
どうも、日本は、外国の音楽団体に見栄なのか高額に契約しているのではないかと思います。本来音楽は、無料で楽しむものなのに・・・・。

No title

損をした訳ではないのだ。
三万円を出すことで、老婆に出会いオペラとの比較により社会の光と影に触れ、より良い未来への道筋に気付いたのだ。
……そうでも思わなければやってられない今日この頃。
自分もそういうことはよくあって、飲み会で四次会まで呑んでいて、二万円強もドブに捨てた(文字通り飲んだモノが……)後なんかは特に。。。

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澄み濁るをば神ぞ知るらん

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