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貞明皇后御歌11

 1912年(明治45年)この年、東京市内に電灯がほぼ完全普及し、水力発電量が火力発電量を上回り、横川・軽井沢間で日本初の鉄道の電化が行われた。(HP『電気の歴史』)明治の暮らしの漠然とした暗い感じが、一気に明るくなるような話。

 この年の一月には、白瀬中尉が大苦難の末、南極大陸上陸に成功。出発時、無謀と散々非難されたそうだが、帰国後は拍手喝采だった。しかし白瀬は、後援会の義捐金横領の責務を負い、その返済に20年を費さねばならなかったとか。

 また、五月には、オリンピック大会初参加。もちろんアジア国で初参加。クーベルタン男爵の呼び掛けにより、嘉納治五郎団長以下役員二名、陸上選手二人が、シベリア鉄道でストックホルムに向かった。メダルなし。

 他国においては、清朝がほろび中華民国が成立。豪華客船タイタニック号が氷山に衝突し沈没。バルカン諸国が戦争に突入。

 それは、さておき。明治45年というと、日本人で知らぬ人はない。この夏は炎暑であった。7月20日、突然の官報号外〈聖上御不例〉のニュースが、日本国中を駆け巡った。「二重橋の前の広場には、ご平癒を祈願する臣子の群れがあとを絶たなかった。地方地方でも、産土の神の鈴の音はひっきりなしに鳴り響いた」。しかし、ついに7月30日崩御。御歳61歳。

 9月13日、大正と改元。青山葬場殿で御大葬。明くる日、御霊柩は京都伏見桃山の御陵墓へ。そしてその夜、乃木大将夫妻殉死。(壮言豪語の人はゴマンといるが、かくなる寡黙至誠覚悟の人は一人としてなし)

 誰でも、いつかはやってくると知っていながら、漠然とした不安に気がつかない振りをして生きている。そしてついにその日がやってきて、今度は自分が家長としての責任を果たしていかねばならない。もう後戻りはないし、覚悟をしなければならない。

 ましてや国家の長たる天皇皇后御夫妻になられた若い御両人のお気持ちたるやいかばかりであったろう。『貞明皇后』(主婦の友社)には、節子妃が後年にもらされた感慨が書かれている。

 「何と言っても、明治天皇さんがお隠れになったときほど、悲しく、心細く感じたことはなかった。…あのお偉かった明治天皇さんのお後を受けて、若いわたしたちが、どうして継いで行けることだろうかと、心配で心配でならなかった。」

 そして、「そのために節子妃は、神ながらの道を究めようとなさって、筧克彦博士をお召になり。その講義をお聴きになり、納得のゆくまで質問をくり返された。その結果、これでよいという確信を、はじめて得られたそうである。まことに大正の御代は、皇后陛下が、お弱い陛下を背後からしっかりと支えて、日本の女性らしく、目立たぬように内助の功をお積みになった時代である。」と書かれている。

 かくして、大正の御代になった。節子皇后は〈まつりごと〉の本義を悟られた。

 しかし、大正天皇には激務が待ち構えていた。1913年(大正2年)1月早々風邪をこじらせ、5月には肺炎にかかられ、これはかなり重篤であった。東京朝日新聞は「昨年御践祚後、政務御多端にあらせられるが為、遂に運動の御不足を来された結果ではないかと拝察される」と書いている(原)。

 この年の節子皇后の御歌

    寄天祝  天長節
 よろづよはかぎりこそあれかぎりなき
   そらにたぐへむ君がよはひは

    大正天皇の御誕生日は8月31日だが、祝日は10月31日とされた。

    采女のすがたをみて
 みまつりにふふむうねめのよそひみて
   しばし神よの人となりぬる
   
  朱と白の衣装に身を包んだ巫女たちが榊の枝を持ち鈴を鳴らして舞う姿には幻惑されますね

    禁中菊
 君が代をことほぐひまのかざしにも
    おるかみそのの白菊の花


    月前神楽12月15日
 こころありて月もさすらむ大神を
   なぐさめまつるみかぐらのには

      恒例の賢所御神楽祭の行われる日

   

 

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