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貞明皇后御歌21

    


東久邇宮聡子夫人(大正天皇の義理の妹)の回想によると、「大正天皇さまが、葉山でお崩れになった時、わたしは、その場に居合わせたのですが、天皇がお崩れになると、時を移さず摂政宮さまが天皇のお位におつきになったわけですが、それと同時に節子さまは、これまでの皇后の席をさっとお下りになって、その瞬間から皇太后になられました。そのご進退のあざやかさは、ほんとにお見事というほかはありませんでした」(『貞明皇后』主婦の友社)

 そして、明くる昭和2年2月7日、新宿御苑の葬場殿で御大葬が行われ、節子皇太后は宮中から青山東御所にお移りになった。さらに、3年後の昭和5年5月に、皇太后のために新しい御殿が造られ、これは大宮御所と呼ばれるようになった。

 大宮御所には、皇太后の思召しによって別棟として拝殿と御影殿(みえいでん)が造営された。御影殿というのは、絵に堪能であった入江為守(ときに皇太后宮大夫)に大正天皇の在りし日のお姿を描かせた肖像画〈御影さま〉を、部屋の正面に掲げたからである。以後、ここで皇太后は一日も欠かさず、四方の神様と御影さまを御礼拝された。

 御影さまのご前には、季節の果物やお水、お菓子、献上物、そして日々の新聞を供えられていた。御起床の後、「ご洗面、お髪あげのあと、朝食はおとりにならず、わずかに梅干しと白湯を召しあがるだけであった。そのあとすぐに衣服をお正になり、御影殿にお入りになりなるのであった。」そしてお昼近くまで、端坐したまま長時間、皇太后は御影さまに向かって、国内外の出来事などを語っては、ご祈念なさり、あるいは観音経や時には御詠歌を誦しておられたとも。

 河原敏明氏によると、「貞明皇后は大正天皇崩御のあと、生涯喪服のような黒一色の、ロングドレスを着用しつづけた。また、毎朝二、三時間は必ず天皇の霊を祀る〈御影の間〉にこもり、日々の出来ごと、宮廷の消息などを生きる人に対するよう、声をあげてご報告するのが日課であった。」そして、それは貞明皇后の第四皇子崇仁親王(三笠宮)には実は双子の妹がいたが、男女の双子は縁起が悪いとして、ひそかに遠く奈良の寺にやり、尼僧にしてしまった。彼女には作られた戸籍と名前が与えられ、後年華道の師匠としてのみ、時々は僧院の外に出ることがあったという。節子皇太后の御影さま御祈念の裡にはこのことに対する懺悔もあったのではないか、と示唆している。(『天皇家の隠し子』)

 そして、この方、格調高い尼寺(歴代門跡は皇女か王女である)で生涯を過ごされたこの方は、河原氏の執拗な追及に最後まで屈せず、三笠宮殿下の妹であることを否定され続けたそうですが。まあ、俗世に生きるわれわれが、俗世を断ち切った方の御心をあれこれ忖度しも、無駄であること、つまり見当違いになること間違いなし。いずれ、われわれ世俗的人間の助平根性が明るみになるだけですな。

 1928年(昭和3年)~30年(昭和5年)から

     春窓
 窓の戸を立ちてひらけばまちけりと
   いはぬばかりに梅が香の入る


   五月のはじめ古き御代御代のみかどの大御筆を拝みて
 現世のわづらはしさをよそにみて
   み筆のあとに一日したしむ


     首夏風
 こがひしてほてりし顔をひやさむと
   いづればすずし初夏の風


     捨子
 ひろひあげてはぐくむ人のなさけこそ
   すてし親をもひろふなりけれ


     鳥
 御影どのに仕へまつらく思ふらむ
   みはしにちかく小鳥きにけり


     俚謡
 ひなびたるふし面白く村々の
   昔がたりをうたひつたふる


     富
 世の人にひろくたからをわかつこそ
   まことのとみと言ふべかるらめ


     虹
 よびかくる童の声に空みれば
   かけわたしたり虹の大橋


     女郎花
 薄ぎりのきぬぬぎすてしをみなへし
   おもはゆげにも見ゆるなりけり


     江辺鷺
 のりすてし葦間の船に立ちながら
   入江の波を鷺の見つむる


     神をいのる
 大神によごとまがごと聞え上げて
   清き心にみさとしいのる


     歌会
 をりをりの花に紅葉にうたむしろ
   開きてこころのぶるたのしさ

     むしろ…歌会などをする場所

     旅
 あがた人こころ尽くして迎ふれど
   むくいむすべもなき旅路にて

     あがた…地方、田舎

     古渡雨
 川しもに橋のかかりてさびれたる
   古き渡りの雨の夕ぐれ

       渡り…渡し場

     心
 清くあれうつくしかれと願へども
   にごりやすきは心なりけり


     法律
 定めては又あらたむる人の世の
   おきては何れまことなるらむ


   大正天皇神去りましてより一千日に満ちたる日、
花卉(かき)といふことを
 御影どのにうたひ上げたる言の葉の
   花なつかしく千代もかをらむ


     同じ日たばこを
 身のつかれ心のなやみやはらげて
   たばこは人によきくするなり


 そういえば、大正天皇はヘビースモーカーであられたと思う。

     読故人書
 ふる人のま心うれしわがために
   かきのこしたる書ならねども


     秋田
 ゆたかなる色こそみゆれ雨かぜも
   時にかなひし秋の田のもは


     身
 うまるるもまかるも神のみこころと
   さとれば安し世をすぐすにも



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