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キリスト教の伝播

何時だったか、だいぶん前、エホバの証人の信者さんと話していた時のこと。
小生が三位一体について尋ねたら、そんなの後の人が勝手に作り上げたものだ、だいたい教会はいい加減な解釈や儀式でいっぱいだ、けしからん、もはやキリストとは何の関係もない、と教会をさんざんけなしていた。

その言い分はわらんでもないが、キリストの教えを今に至るまで伝えてくれたのは、あの教会を作ってきた人たちの努力があったればこそではないか、お礼ぐらい言ったらいいものを、と小生は反論した。

それにしても、人間のすることには、どうしても正邪両面がある、そして両面を簡単には切り離せない。この世で生きるには、どうしても肉体が必要である。たしかに、もっとも苦しんでいる人たちや貧しい人たちのためのイエスの教えと立派な教会とは相容れない、とちょっと目には思われる。バチカンの壮大さは、イエスの言う「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」と正反対のように感じる。

しかし、教会を通じて人々に教えを広めよう、苦しんでいる人たちを救おう、という気持ちが神父さんらにないわけではなかろう。どの程度職業化しているのか、神父さんによってまちまちであろうが、イエスの情熱の波動は二千年後の今に至るまで、彼らを通じて、減弱しつつあるかもしれないが、伝播している。もちろん中にはまったく酷い悪魔のような神父もいるであろうし、中世では多く居たと聞く。

それより、エホバの証人の表面的な言葉への原理主義的態度は、イエスが否定したあの厳格な律法主義にとても似ていると感じるのは小生だけではあるまい。



                                           
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