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貞明皇后御歌24

養蚕と言えば、古代から皇室は養蚕に関係していたし、1871年(明治4年)に昭憲皇后が御所内で養蚕を復興され、それを引き継がれた大宮様(貞明皇后)は、御結婚以来51年間にわたって養蚕を続けられた。

とはいっても、貞明皇太后は義務として養蚕をしておられてのではない。根っからお好きだったと思われる。蚕をお手に取り「おこさん、おこさん」と言って、頬ずりされていた、とか、大正2年には宮城内に養蚕所を、本丸跡に三千坪の桑畑を造られた。外出から帰られると、何はともあれ、お蚕さんと対面されたとも。

以前に紹介したと思うけれど、大正2年の御歌

    養蚕をはじめたるころ
 かりそめにはじめしこがひわがいのち
    あらむかぎりと思ひながむる


 大正12年4月30日有泉助手とともに養蚕所にて
 一年は早くも過ぎてわがこがひ
    わざまたはじむべき時は来にけり


 同5月5日
あたたけく晴れたる空に心よく
  おちゐてけふは蚕もねむるらむ


 同6月3日養蚕所4号室にて
いとなさにおくれぬといふ床かへを  
 たすくるほども楽しかりけり

   襷鉢巻して頑張っておられる姿彷彿


1932年(昭和7年)になると、明治の終わりごろには、清国を抜いて世界一位に輝いた生糸生産ではあったが、恐慌後生糸価格も暴落し、養蚕業界は大不況に陥った。この年の御歌―

 よきおきて選びさだめてこのわざに   
  なやめる人をとくすくはなむ


 何事もさかえおとろへある世なり
  いたくなわびそ蚕がひするひと


 国民のたづき安くもなるむ世を
  ひとり待ちつつ蚕がひいそしむ


 外国のひとのこころをみたすべく
  よきまゆ糸のとりひきはせよ


このころから日本の人絹織物の輸出が躍進し、いずれ諸外国から輸入制限措置をとられるようになる。

昭和20年、大日本蚕糸会総裁であった閑院宮戴仁(ことひと)親王が薨去し、昭和22年その後継者に大宮さま(貞明皇后)が推挙されるのであるが、そのとき、大宮さま曰く「陣頭に立って本当に働く総裁なら引き受けてもいいが、飾りものの名誉総裁ならお断りする」と。そうして、自ら率先して汗水流し養蚕にいそしまれたとのことであった。




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