スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

8月15日 1

ぼくは、この時節になるときまって思いだす。
 それは、幼稚園からの帰り道ー
 うんこがしたくてたまらなくなった。
 家までまだだいぶんある。
 しようがないから、歩きながらうんこをした。
 知らぬ顔をして歩いていたが、
 臭いは隠しようがなかった。
 ある家の前で見知らぬ小母さんが気づいて、
 あれ○○さんとこの子じゃないのぉ、
 洗ったげるわ、うちに入りなさいと
 言われ家に入れられ、お風呂場に連れていかれ、
 ズボンとパンツを脱がされ、下半身に何度も
 水をかけられ、きれいにされ、
小母さんの子供のものとおぼしきパンツを
はかされて、…帰宅した。
汚れた衣類は洗ってくれたようだ、
そのあとの事は憶えていない。
ただ、そのとき感じた気持ちは、
はっきりと覚えている。
その小母さんにたいして
ひどく恥かしいという気持ち、
余計なお世話を恨めしいという気持ち、
そしてちょっぴりありがたい気持ち。

それから、また思いだす。
小学校の6年生の時のこと。
学年全体でマラソンがあった。
距離として2~3kmだったと思う。
ぼくは走るのがもともと苦手なほうで、
しかもすぐ息が切れる。  当然、
前半から落ちこぼれグループで、とても
最後まで走り切れない予感がした。
途中で先生が後ろからはっぱを掛ける。
一人だけ置いていかれるのが嫌だから、
周りの仲間たちに「真面目に走るのなんか
バカバカしいぜ、ゆっくり行こう」とか、
そのようなことを言って、急ごうとする
仲間をけん制した。・・・
ゴールはどうだったか、憶えていない。
たぶんビリだったのだろう。
後になって、その時の自分の卑怯、ずるさは
じぶんの心の中でどんどん大きくなって
痛い棘となった。
それだから、もちろん以後、
長距離走には積極的に参加して、
たとえビリでもベストを尽くそうと
思うようになったけれど。

 いろいろと昔の思い出が浮かんでくる。
 でも、なぜか恥ずかしかったこと、
弱い自分、悪事をなしたことばかり浮かんでくる。

故郷の田舎町の小さな駄菓子屋で
ガムを盗んだこと、その時の気持ち。
受験に落ちて、馬鹿だと思われたくないために
自他に対して
巧みな言い訳を考えたこと。
その時の正直な気持ち・・・
思い起こせば、顔から火が出るようなことが
いくらでも浮かんでくる。

あれから年月が流れ、今となってぼくは、
あれらは逃れようもない自分なのだ、
あれこそ自分なのだ、という気持ちが
どんどん強くなっていく。
 居直りではないが、そういう自分を
 むしろ肯定しようという気持ち。
思いだせば思いだすほど、むしろ自分の
 過去にたいする愛おしさが強くなっていく。

         *

 ところで、ぼくは日本という国に愛着を感じている。べつに愛国主義者などという仰々しいものではないけれど、ごく自然にわが国を愛している。最近では日本の歴史を知れば知るほど、いっそうその感がはっきりしてくる。日本の歴史を知ることは、自分の過去をうまく思い出すことと同じじゃないかと思う。馬鹿なことも、愚かなことも、しかしそれらはみんな自分じゃないか、と感じられ、愛おしさを感じないではおれない。

          *

 さて、ここからは作り話。
 高校生になったある日、ぼくは些細なことから
 友人たちと喧嘩をした。相手は三人だった。
 多勢に無勢。ぼくの顔は腫れ、血まみれだった。

 祖父母は、そんな姿のぼくを見て泣いた。父はどうしてこうなったかを問いただした。母は、ぼくの顔を洗って拭いてくれ、なぜか笑顔でぼくを抱きしめてくれた。それ以後ぼくは、くじけそうになった時いつも、このときの母のまなざしがたすけてくれた。

 相手の生徒たちはぼくの非を口を揃えて言った。そして、他のまったく関係のないおしゃべりな生徒たちも、なぜかぼくのほうが悪いと言っているらしかった。そういうときぼくは非常な孤独を感じ、途方に暮れたことを覚えている。ぐうぜん喧嘩を見ていたパルさんは、喧嘩の原因をつくったのは相手たちだと言ってくれたが、マック校長は、ぼくを校長室に呼び、一枚の紙と鉛筆を渡し、ここに反省文を書けと言った。

 そのときの校長の顔をぼくはまじまじと見つめた、というのは校長は本気でそう言っているのか、たんに世間体を慮ってそうしているのか、どうも真意を測りかねたからだ。そのときの校長が醸し出す空気をぼくは忘れることはできない。

 それから何日かしてから、ぼくの大好きな親戚のヒデ叔父さんにその話をしたら、叔父さんは縁側で黙って聞いてくれていたんだけど、しばらくして煙草の煙をふーと吐き出してこう言ったんだ、「まあ、利口な奴らは反省ってやつが好きなんだな。俺は馬鹿だから反省しないよ。」そのときの、ぼくを見つめる叔父さんの爽やかな顔は、―いつも爽やかな人だったけれど、ほんとうに魅力的だった。

 それ以来ぼくは、やってしまったことを、後になって、こうなってしまったのはあれがけなかったの、こうすべきだったのと、やいやい言う人を信用することはできなくなった。その後だんだんと分かってきたけれど、反省を声高に言う人の多くはとても冷たい目をしている。自分がやってしまったことに対する愛情が欠けている。それがわかったんだ。



    にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 思うこと - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

うれしいです

ヘルブラウさん、情愛に満ちたコメントありがとう。永遠の漂泊者ですか?ぼくの愛国心なんてごくごく平凡なものですよ。

好きな記事

お久しぶりです、
うたのすけ殿にはお変わりなく、ここでしか味わえない独特の世界は
そのままでなにやら古巣に戻ったような気がします。
遡って記事を読んでみて、ここでコメントしたくなりました、
淡々としかも鮮やかで活明な記憶の表現は興味をそそりました、

最初の××たれ以外は(笑)似たような記憶があるような。。。

うたのすけ殿の愛国心は伊勢神宮にも似た何やら神聖なものさえ感じられますね、でも淡青は永遠の●●●でありたいものです。



コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

プロフィール

うたのすけ

Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。