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古事記神話

西條勉著『古事記神話の謎を解く』を読んで

 文化人類学者によると、世界の神話には、いろいろの類型があるという。そして、古事記のなかの様々な話は何何型の話型だと。
 
 たとえば、スサノヲが八俣の大蛇をやっつけてクシナダ姫とむすばれる。これは、ペルセウスがアンドロメダを食わんとするネプチューンをやっつけるギリシャ神話を彷彿とさせる、これ怪物退治譚。

 アマテラスが岩屋戸に隠れたり、山幸彦が竜宮に行ったりするのは、異郷訪問譚。イザナキが禁止された死体を覗いたり(オルペウス譚)、山幸彦が豊玉姫の出産を覗いてしまうのは、禁室型譚。オホナムチが死んでも再生するのは通過儀礼で、スサノヲから娘を奪うのは難題婿型。

 まあ、他にもいろいろあるのだろうが、昔からずーっと話されていた原初的な挿話(浦島太郎の話もそうであろう)を、巧みに利用して面白い物語にしたのが『古事記』であって、その意図は、新しく誕生した日本という国にふさわしい神話を創りだすことだった、というのが本書である。

 それだから、『古事記』は、奈良時代の初め発表された当時、フルキコトノフミではなく、最新編纂物語であった。これが書かれて〈日本語〉が始まった、それ以前の言葉は〈やまとことば〉であった。〈やまとことば〉で話されていた話を一部は利用し、一部は新しく創作して、〈書き言葉〉で物語として定着させたことは画期的だ。

 著者は、『古事記』はストーリーのためのストーリーであって、本来の神話としては、合理的でいわば出来過ぎている、そこに一貫してつらぬかれている思想は、中国の王権思想だ、と語る。

 それは、天子受命の思想であって、つまり天は有徳者を統治者とする、儒教思想である。しかし中国とは違って、それを起源化し神話化した、つまり固定したんですな、万世一系として。

 ついでにいえば、著者は、イザナキ・イザナミの国生みの初めに、先に声をかけたのがイザナミであったから失敗したという話には、儒教の影響がある、という。この説には小生うーんとうなってしまった。まあ、狩猟採集の時代には男が優位であったのはないのか、と呟いたけれど。

 で、ともかく、細かい話はめんどうで書かないけれど、もともとヤマト神話の空間は、水平的であったが、この創られた〈日本神話〉においては、垂直型になったという。

例えば、葦原の中つ国は、もともと葦原水穂国あるいは瑞穂国、つまり稲作によい湿原地だったのが、天界と地下界との中間、つまりこの地上世界のイメージで置き換えられた。また、黄泉の国が、山の方から地下世界に、理想郷である海の彼方は天界にされた。要するに、水平表象が垂直表象にイメージの転換が行われた、という。

なぜそうしたか。それは先ほど言った天子受命、つまり最高神から天皇が続いていることを創り上げるためである。万世一系というシステムは日本独特らしい。日本が皇統を続けてこられたのは、王権の起源がはっきりと述べられているからであるという。だから、『古事記』の核心部分は、天孫降臨神話である。

さて、そうだとして、これをどうとらえるか。肯定的に捉えるのと、否定的に捉えるのとは、まるで意味がちがってくる。否定的にとらえれば、戦後しばらく風靡した説、権力者が自己正当化のために創った薄っぺらい隠喩物語と切って捨てるということになる。

まあ、いまどきそんなことを言う人はいないだろう。少なくとも『古事記』の表記法が示す如く、当時の人々がいかに国語というもについて、その危機について、今のわれわれが考え及ばぬほど深い問題意識をもって書かれたか如実である。

そして、後世のわれわれは、あの面白い物語―御先祖たちが国家の急務で創らねばならなかったあの面白い物語に、乗るか乗らないかが、問われていると強く感じた。





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