スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

貞明皇后御歌29

1945年(昭和20年)5月24日に、東京の芝、品川、大森、荏原などの城南地区に、明くる25日に、麹町、麻布、四谷などの山の手に、爆弾、焼夷弾の雨霰。当時宮内省総務局課長として現場で働いていた筧素彦氏は、この時の皇居の模様を詳しく書き遺している。(『今上陛下と母宮貞明皇后』)

 「全宮内職員は永年に亘って有事に備え、消防夫を兼任している位のつもりで空襲による火災に備え、設備も器具も衆知を傾け、訓練も永年に亘り真剣に実施してきた。それにも拘わらず、一個の焼夷弾も落下しない宮殿を、一瞬の間に猛焔に舐め尽させてしまったことは、まことにまことに申し訳ないことであり、…」と書いておられる。

 つまり、直接宮殿に焼夷弾が落ちたのではなく、晴天続きで乾燥の極に達していた宮殿の桧材に、周辺の大熱気による熱風が吹きつけ、正殿の廂に火が点いた、それがまたたく間に廊下を伝わって、宮殿全体を燃やしつくしてしまったらしい。

 筧氏は書いている、「俗に〈焦眉の急〉などというが、宮殿の焼け落ちる時の熱さは正に眉が焦げる思いであった。また、あの正殿と豊明殿の銅板葺きの大屋根が炎に包まれて焼き落ちる一瞬の、縁は黄金色に輝く緑色の大火焔の美しさには呆然たる思いであった」。

 「この夜、赤坂の大宮御所もまた無数の焼夷弾の直撃にあって全焼、皇太后陛下(貞明皇后)は危機一髪のところでお文庫(防空室―御殿からはお庭伝いに坂を下りた所にあった)に御避難になった。」

 この時までは、皇太后は大宮御所にお住まいであったが、いざというときには、二か月前に急遽作られたトンネルを通って、御文庫(地下防空壕)にお移りになることになっていた。したがって、この時以降は狭苦しい御文庫での御生活となった。

 ある女官の語る所によると、御文庫では、皇太后は、空襲で死んで逝きつつあるであろう多くの人たちの冥福を祈るために、経机に向かい端坐して、地蔵尊像や念仏文字の朱印をいくつもお捺しになっていたと。

 天皇(昭和天皇)は、空襲警報が鳴るたびに大宮御所の皇太后の身を案じられ、侍従に「おたたさま(母)は御文庫にお移りになっただろうか」と下問され、その確認を待って、御自分も宮城内の御文庫に御動座なさったという。また一方、皇太后も天皇皇后の御身を非常に案じておられたことは言うまでもない。

 そもそも、貞明皇后は、まだ妃殿下であるときから、御長男は将来の天皇となる御身たることゆえ、裕仁皇太子殿下には一歩距離を置いて接しておられた。しばしば、秩父宮殿下以下のお子様たちには母親らしい愛情表現をなされたようであるが、御長男とは気が合わなかったとか何とか言う人たちが、昔も今も同じようにいるが、そうではない、天津日継ぎの皇子に対する態度は母親のそれであってはならないのであって、子供だから大事なのではない。距離を置くとは敬意を示すということである。

 皇太后は、天皇へのお使いを仰せつかわすとき、御使いに対しても天皇へのご口上を仰るときには、御使いに向かい、かならず御起立されて、一区切りごとにお辞儀をなさって、御言葉を述べたという。ましてや、御使いから天皇のお言葉を聴かれる時の御態度も推して知るべし。

   終戦の年 雅楽 明治節
 千年へしもののしらべもすすみたる
    御代にいよいよ栄しめなむ


 小生は、この御歌に充実した御覚悟を感じる。方法は異なるとも、目指すところは昭和天皇と同じである。

天皇は天皇で、戦後復興のために御自分の役割を御自覚され御邁進になったことは、映像などでもわれわれのよく知る所である。そもそも8月9日、ポツダム宣言の発表を受けて、吹上御苑の地下防空壕内で開かれた御前会議。鈴木首相、東郷外相、米内海相、阿南陸相、豊田軍令部総長、梅津参謀総長、平沼枢密院議長、その他4名が列席。

 一億玉砕をもって最後の一矢を報いるか、ポツダム宣言を受け入れて降伏するか、意見は分かれた。そして、「陛下、何卒思召しをお聞かせ下さい」

 「ならば自分の意見を言おう。自分の意見は外務大臣の意見に同感である」。

 一瞬の静寂。そして誰からともなく、涙とともに押し殺した声は、すすり泣きから号泣へ、全員の肺腑から流れ出たのであった。

 しかし、大事なことは、陛下の締めくくりの御言葉であった。「こうして戦争をやめるのであるが、これから日本は再建しなければならない。それは難しいことであり、時間も長くかかることであろうが、それには国民が皆一つの家の者の心持になって努力すれば必ずできるであろう。自分も国民と共に努力する」。

 昭和21年1月1日 新日本建設に関する詔書 天皇人間宣言 こんな茶番をされてまで…しかし、皇太后の御歌
    
     松上雪 御会始
 そのままの姿ながらにおもしろく
   降りつもりける松の白ゆき
 

 ゆく道をうづみてつもる雪なれど
   しるべの松はかくさざりけり



   

  にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

プロフィール

うたのすけ

Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。