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福沢諭吉『文明論の概略』を読む1

福沢諭吉『文明論の概略』 明治8年刊行

 ここには色々なことがいっぱい書かれている。それを書かしめた熱い思いは充分伝わってくる。明治八年の諭吉の熱い思い。それは、西欧諸国に接してこれから日本はどのように生きていくべきかという問題である。

 様々な問題について論ずる前に、まず議論するという事はどういうことか、から説き起こしている。明治八年といえば、帝国憲法発布そして第一回帝国議会開催(その時は、日本中提灯行列で祝ったそうだ)より、十五年くらい前だ。人が正しく論議するとはどういうことか、それからまず論じなければならなかった諭吉の苦衷を察しなければならない。

 世を見渡すに、人は議論と言っても、枝葉ばかりに拘泥し本来の目的を見ない、或いは己の好き嫌いでものを言い、相手を論駁しようとばかり考えている。だから先の先まで深く考えている人の意見を聞くと、それはあまりに変った意見であると排撃し、それに真摯に向き合おうとしない。そういう態度の人々の集積が世論というものを形成する。だから世論でもってしても進歩が見られない。古来文明の進歩を促すような画期的な説は、発表された時点では異端妄説であった。アダム・スミスを見よ。だから、学ぶものは勇気を出して、考えるところを述べるべきだ。そして人々は謙虚に議論しあうべきだ。まずそれから始めること。

 国家の行方を論ずるに、枝葉とは個人的な利害、目の前の便不便であって、正しく議論を深めていけば、かかる枝葉は消え、文明化への本体が見えてくるはずだ。そこから議論が始まる。

これが書かれてからすでに百年以上経つが、テレビなどで政治論争を見たり、われわれの日常の議論を振り返ってみるとき、まだまだ日本は本当に文明国かと疑われるときがある。



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