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文字の力1

先日、「文字のチカラ」展というのを名古屋市博物館でやっていたので、見に行った。

 その解説書には、いま世界で使われているすべての文字は、古代エジプトのヒエログリフか中国の漢字が、起源である、と書かれている。小生はいつも不思議に思うことなのだが、かつて人間は何千年間、ひょっとして何万年間、話し言葉でもって意思の伝達をしてきた。それをどうして〈わざわざ〉目に見える記号に置き換えようとしたのか。

 いつだったか、エホバのおばさんが、言葉は人間にのみあると言ったとき、では、鳥や猿やどんな動物でも、危険が迫っているぞとか、あそこに餌があるぞとかを仲間に知らせるとき、鳴き声が明らかに違う、彼らの声は、言葉ではないのか、と反論したことがある。

 そもそも、あらゆる生き物がもっている形態や機能は、意味もなくあるわけではなかろう。生存のために何らかの役に立つためにある。声を出す動物は、その発声には何らかの役目がある。

 とにかく人間は、何万年かのあいだに、他の動物よりはるかに細かい意味まで音声で伝達することができるようになった。人間の喉頭の構造はいかにもいろいろな音を出すのに便利なようになっている。そのように発達してきたというが、人間が話そうとするからそういう肉体的構造になったのか、その逆か、それは生命という神のみぞ知る。

 かくも様々なことを伝達できるようになった紀元前何千年前の人たちがどうして、さらに文字を発明せねばならなかったのか。ちょっと想像するに、伝達事項がものすごく増えて、人間の記憶力がそれに追い付けなくなった。話し言葉だけでは記憶違いが多くなった。たまたま岩を刻んでおいたら、それがずっと残って、それが正しい目印になった。

 聞いたことは時間が過ぎ去るといつしか消えたり変化したりする。ところが刻んだものは変化しない。これに気付いたとき、音声的意味を視覚的記号に置き換えることの便利を知った。まあ、なんにせよ、全く次元の違うものを結びつけたというのは、なんかすごいな。


 

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テーマ : 博物学・自然・生き物 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

No title

umama01さん、たまたま人間は、音によるコミュニケイションを発達させました。そのスペクトルはイルカやクジラに比べて狭いみたいだけれど、喉頭の構造が複雑化し、音が多種となり、その組み合わせによりかなり多くのことを表現できるようになりましたね。それがもし光とか匂いとかだったらどうなんだろう、って想像します。

No title

その場合、カラスの使ったのは「言葉」である、と私は考えます。
実験が正しければ、ですけれど……いじめられたカラスがその中にいて、注意を発した可能性もなきにしもあらず、ですし。。。

No title

umama01さん、言葉は何のためにあるかを考えれば、こう言えるのではないでしょうか。つまり、動物は、生きるために必要な言葉のみ話し、人間はそれ以外にも、余暇として、楽しみとしても話すと。

そういえば、一週間くらい前に見たテレビで面白い番組をやってました。アメリカのある大学での研究で、構内に生息しているカラスに、特徴的な顔のお面をつけて、カラスを捕まえいじめる。その何週間の後、また研究員がそのお面をつけて構内に現れた。すると他のカラスは、そのお面の人に対して、明らかに注意の反応を示した、というのです。
この結果から、この研究者は、初めのカラスは、仲間に〈あの男はやばいんだ〉、ということを伝達したに違いないと結論付けました。
もっとも、この考察はまだあいまいなところがありますが・・・。

No title

合図と言語の差異ってのは、なかなか難しいものだと思いますけれど。
実際、鳥の鳴き声どころか蝉の声でさえリズムと声量で上手下手があり、繁殖の成否にかかわってくる訳ですし。

私個人の考えでは、合図は単発その場の意思表示、言語は経験を伝承出来る合図の集合、だと思ってます。
勿論、私個人の勝手な考え方でしかありませんけれど。。。

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