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以和為貴

聖徳太子の憲法十七条は、「和をもって貴しとなす」から始まる第一条、ついで「篤く三宝を敬え」から始まる第二条、それから「詔(みことのり)を承りては必ず謹め」から始まる第三条。

 ほとんどの日本人が知っているこの言葉は、むかしから日本人論によく引用される。つまり、日本人にとって、普遍的な心の問題よりも、天皇よりも、まず何よりも和が大切なのだ。そして、小生の見るところ、この和の精神は、いまでも日本人のこころの奥深くにある鉛の錘のように、表面がいくら荒れていても、結局はここに収斂する。

 それは、聖徳太子がそう言ったから、そうなった訳ではなく、太子が活躍したずっと以前から和という言葉で表現されるような精神的態勢が日本人には強かったのであって、太子が初めてそれを定式化したのだろう。そしてまた同時に政治の現場においては、憲法にそう謳わねばならなかったほど、当時の役人らは、徒党を組んでは利己心丸出しといった、和からは程遠い状態であったろう。

小野清一郎氏によると、日本人は、有史以前から氏族的・家族的な社会組織を有し、その上に天皇の統治があって、それは血縁的な共同体の階層であり、それは和の生活であった。ところが人口増加、生産力の発展、大陸文化との接触などに伴って、血縁共同体の氏族的統制が弛緩し、遂にそれらは党的になって閥族勢力となって国家の統一を紊乱するにいたった。しかし、古き共同体的和が完全に失われたわけではなく、太子によって新たな自覚がうながされた、と言う。(梅原著『聖徳太子』)

その意見に対し、梅原氏は、縄文的狩猟採集民族が居たところに朝鮮半島からやってきた水稲農業と金属器をもった民族が征服しにきた。それは長きにわたる激しい戦いであった。和の精神は、この人口密度の高い島国での動乱において、征服者と非征服者との間に生まれた知恵であった、と言う。

そうかもしれない。ただ、ではどうしてあれほど長いあいだ戦乱時代が続いた中国やヨーロッパで、和を以て貴しとなす、という思想が前面に出てこなかったのか。

ヨーロッパには紀元後、キリスト教が起こったということが、大きな特徴ではある。が、小生が想像するに、日本の特殊性は地政学的要因が強いのではないだろうか。つまり、日本は極東である。古来、日本には文化はほとんど西からやってきて、日本で行き止まりであった。日本は、要するに吹きだまり、あらゆる文物の終着地点である。

つまり、ここからさらに別方向への抜け道はない。だから文化は、ここでいつまでも留まり、融合し、発展し、独自の展開を見せやすい。しかし、戦いとなると、どこへでも逃げるわけにはいかず、この狭い領域内で解決せざるをえない。完全に一勝者が他者を壊滅させるか、複数が話し合いで平衡を保つという解決方法に、どこよりも早く行きつく。中国やヨーロッパのような大平原なら、いくらでも逃げて再起をはかれるから、つまり半永久的にイタチごっこをやっておれるから、なかなかそうはいかなかったのではないだろうか。

で、まあ戦いは止めるという方向での話し合い=和という伝統が出来上がり、その中で、なぜか天皇に忠誠を示すという日本独特の形式が生じ、太子はそれを定式化したのではないだろうか。小生は、つい勝者としての天皇と言ってしまいそうだった。

ところで、今の国際社会において、日本流〈和を以て貴しとなす〉というのは、通用しない。日本の独自性は日本国内では有効だが、世界では通じない。国際外交は、〈話し合い〉とは言っても、騙し合い、その中には態のよい対話拒否も含まれる。そういえば、先日テレビで奥州藤原氏の番組をテレビでやっていたが、ある先生は、日本の外交がまずいのは、朝鮮(高句麗、新羅、百済)や中国(魏蜀呉など)の三国鼎立の経験がないからだ、と言っていた。つまり、すべての国は他の二国を己に有利なように、利用し、嘘の情報を流し、仲間と見せかけては、いつでも裏切る、そんなゲームのような外交と戦争による均衡の歴史を日本はもたなかったからだ、と。

日本人は、いかなるときも嘘を言ったり裏切ったりすることがとても悪いことで、恥ずべき、してはいけないように、どうしても思いたがる。だから、昭和14年8月独ソ不可侵条約が結ばれた時、平沼首相は「複雑怪奇」と驚きの言葉を発し、昭和20年8月のソ連の日本侵攻を日本人は条約違反として非常に腹を立てることしかしない。

まあ、それは言い過ぎだとしても、先日『ローマ人の物語』で有名な、イタリア在住の塩野七生氏が新聞に書いていた言葉が忘れられない、「隣国と仲良くしなければならないとほんとに思っているのは日本だけだ」と。

それはそれとして。

「和を以て貴しとなし」の後半は、「然れども、上和らぎ下睦びて、事を論ふにかなふときは、事理(こと)おのづからに通ふ。何事か成らざらむ。」つまり、平たく言えば、冷静に論じ合えば、理は通じるのだ。太子にはこの信念があった。だからとことん話し合うこと、それが和だ。話し合いを拒否して、表面だけつくろっても、それは和ではない。


  

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テーマ : 文明・文化&思想 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

No title

umama01さん、政治というのは巨大な混沌、なんか得体のしれない恐ろしい力、って感じることがあります。
そしてそんな中でも聖徳太子はすごい巧妙な政治家ではなかったか、と思うこの頃です。

No title

 国際社会での問題は、話し合いをして分かり合う以前に、政治家を操る連中の「利」があるから、でしょうか。
 操り人形と幾ら語り合っても無駄なように……そういう政治家のみではなく、裏方の利権までも見て話し合いを展開するのが、真の外交なのでしょうけれど。。。
 まぁ、基本、嘘は天が見ているってのが、日本人の思想ですよね。
 誰を騙しても、自分だけは騙せない、ってのが……良くも、悪くも。

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