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頓阿法師詠4

頓阿の時代の和歌は本歌取りが多い。本歌と並べて味わってみると、頓阿がどのような工夫をしたかがうかがえて面白い。


いく世しもあらじわが身をなぞもかく
    海人の刈る藻に思ひ乱るる
(古今)

 さのみなど花にそむらんいく世しも
    あらじわが身の老いの心を
 (頓阿)

 そんなに長く生きるわけでもないのに、どうして私は藻のように思い乱れるの(古今)、どうして花に心を染めてしうの(頓阿)


ほととぎす鳴きつる方をながむれば
    ただ有明の月ぞのこれる 

(千載 藤原実定)

ほのかなるただ一声もほととぎす
    なほ思ひ出の有明の空
 (頓阿)

 頓阿のは、ほんの一声だったけど確かに心に残った。しかし実定は、あれは空耳だったのか、いや有明の月の魔力か、という不安が尾を引いていて面白く感じる。

 五月待つ花橘の香をかけば
   昔の人の袖の香ぞする
 (古今 不知読人)

 思ひいづる昔も遠し橘の
   花散る風のゆふぐれの空
 (頓阿)

 古今、香によっていつもあの思い出に浸ることができる。頓阿、あのことからもうあまりにも遠く隔たってしまった。もう二度と還って来ない。この夕ぐれはあまりにも切ない。


 音もせで思ひにもゆる蛍こそ
   鳴く虫よりもあはれなりけれ
(後拾遺重之)

 飛ぶ蛍もえてかくれぬ思ひとは  
   しらでやさのみ音を忍ぶらん 
(頓阿)

 まったく同じ趣旨の歌であるけれど、頓阿のほうが線がはっきりしていていい。


 わが心なぐさめかねつ更科や
   をばすてやまにてる月を見て
 (古今)

 こよひしも姥捨山にながむれば
   たぐひなきまですめる月かな 
(頓阿)

 この古今の歌は、『大和物語』にある姥捨物語にある。この話は、信濃の国更科に男が住んでいた。この男の両親は早くに亡くなって、伯母さんに育てられた。しかし、寄る年波にはかてず、この伯母は腰が曲がって働けなくなった。男の妻は伯母が邪魔になってきたので、深い山の中に捨ててこいと男にいう。男は仕様がないから、伯母をおんぶして山中に捨ててくる。その夜の月はたいそう明るくきれいだった。それを眺めていた男は悲しい気分になった。そして詠ったー

 わが心なぐさめかねつさらしなや
   をばすて山に照る月を見て


 そして、山に戻って伯母を連れ帰った。その後はどうなったかは知らないけれど・・・。


 頓阿の和歌は、「九月十三夜、姥捨山の月を見て」という詞書がある。伝説的な姥捨山を旅中で見たのであろう。姨捨という残酷な行為と十三夜の月の光の類まれな美しさとの直結が、オスカーワイルド風の危険な魅力を醸し出している。


 

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