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『勝鬘経義疏』2

昔からいかなる部族にもその部族の神があったが、また大帝国をまとめるために新しい宗教を利用した為政者もいた。まず思い浮かぶのが、ローマにおけるコンスタンティヌス、イスラムのモハメッドや後のカリフ、古くはインドのアショカ王もそうか。

欽明天皇の御代に仏教が伝来してから数十年にして聖徳太子という人物が摂政としての地位に着いたのは、わが国にとってあまりに幸運であった。そういえば、その時はまだ国家というものはなかった。というか日本という国号もおそらく聖徳太子の業績の賜物であって、太子がまさにこのとき、国の統一のためには仏教を必要とすると感じたのも、またそのために大政治家蘇我馬子と軌を一にできたのも幸運であった。

太子は非常に短期間のうちに政治改革を行った。遣隋使派遣、小懇田(おはりだ)遷都、冠位十二階制定、憲法十七条制定、法興寺と金銅仏像制作、斑鳩宮に転居。勝鬘経や法華経の講義。目立った所だけでもこれだけのことを7年の間にやっている。(600~607年)

ところが、いつ頃からか聖徳太子は、仏教をたんなる国家統一のためではなく、本格的な思想の問題として取り組んでいった。すでに早くから彼の心を悩ましている問題があったからだが、それは、何故この世の中はこうなのか、そしてこの世の中でいかに生くべきかという問題である。仏教はその問題を考えるための格好の文脈を与えてくれた。

おそらく太子の目には、政治ではそう簡単に人の世は変わらないという思いが、痛いほどはっきりしてきたのだ。だからいつ頃からか、太子と蘇我馬子との間に隙間風が通うようになっていたのではなかろうか。馬子は、内面の思考に沈潜する太子がだんだんと疎ましく感じられるようになっていったのではなかろうか。

  

  

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