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『勝鬘経義疏』3

『日本書紀』の推古21年(613年)に、―この年は太子が『勝鬘経義疏』を完成した年であるが―、こんな記事がある。

太子が片岡山を通りがかったとき、飢えた人が道に倒れていた。太子は名前を問うたが、答えがなかった。太子は食べ物を与え、自分の着ている服を脱いで彼を被ってやり言った「ゆっくり休んで」と。そして歌を詠んだ―

〈しなてる 片岡山に 飯に飢て 臥やせる その旅人あはれ 親無しに 汝生りけめや さす竹の 君はや無き 飯に飢て 臥せる その旅人あはれ〉

明くる日、太子は飢えた人を見てくるように使いを出した。使者は帰って来て報告した、「飢えた人はすでに死んでいました」と。太子は大いに悲しまれ、その場所に埋葬し墓を作った。数日して、太子は近習に「あの飢え人はただの人ではあるまい、きっと聖人にちがいない」と仰って、ふたたび墓の所へ使いを出した。使いは帰ってきて報告した、「墓はそのままでしたが、空けてみれば屍はありませんでした。ただ服はちゃんと畳んで棺の上においてありました」と。そこでまた太子は使いに、服を取って来るように命じ、それを今まで通り着用した。人々は大いに驚いて、「聖は聖を知るということは本当なんだ」といよいよ畏まった。

後の人が尾びれを付けずにはおれなかったであろうこの話は、『日本霊異記』にも取り上げられているし、『万葉集』巻三の挽歌―

家ならば 妹が手まかむ 草枕
  旅に臥やせる この旅人あはれ

 が太子の和歌として載っている。

とにかく何より、『日本書紀』のこのあたりを担当した作者はよくぞこの話を残しておいてくれたと思う。

政治改革を断行してきた摂政皇太子が、道に倒れている乞食に食物と衣服を与えたという。これは驚くべきことであった。この記事を小生はとても面白く思うし、素直に信じられるし、またそうでなければ、『勝鬘経義疏』の迫力が半減する。




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