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『紫文要領』1

 今では誰もが〈物のあはれ〉と聞けば『源氏物語』を連想する。そしてこの物語が〈物のあはれ〉を表すために書かれたと最初にはっきり言い切ったのは本居宣長である、ということも多くの人が知るところである。

 この『紫文要領』は宣長の『源氏物語』というか紫式部信仰告白の書であって、これを読む人は、〈物のあはれ〉という判断基準で、快刀乱麻を断つごとく、あらゆる旧来の源氏解釈をばっさばっと切っていく若き宣長の一本気に気圧されるのではなかろうか。

 今では物のあはれという言葉はあまりにも有名になり過ぎたが、この『紫文要領』を読んで思うに、物のあはれは簡単に言えば感動するということであって、さらに言えばその感動する心がいちいちの情況に応じて的確な方向性をもって現れてくる運動のことであり、そしてその運動の軌跡が美しいのだ。

 宣長が言うのは自然の風物のみならず人事のことにおいても、何に接しても心が動く、そしてそれからなかなか離れがたいのが、物のあはれを知ることであり、したがって恋をすることももちろんそうであるし、不倫の恋をすることもさらにいっそうあはれは深いのであって、それを不道徳だの何だのと批判するのは物のあはれを知らない人だ。また他人の悲しみや難儀を見て何も思わぬ人、他人をけなしたり強く咎める人、自説をかたくなに主張する人、知ったかぶりをする人なども物のあはれを知らない人だ云々。

 物のあはれを知る心は、ものをより好いように見ようとする、好い面を見ようとする。姿かたち、ふとした表情、立ち居振る舞いの美しさに鋭敏であり、いろいろな能力、地位といったものまで、素直に肯定的に見る。

 しかし宣長のこの本のなかで小生が一番面白いと思った点は、紫式部は『源氏物語』という長編小説を非常に意識的に計算して創ったという点である。〈物のあはれ〉をどのようにすればもっとも効果的に表現できるかを事前にしっかり考え、全体の構成にとりかかった、ということを示している点である。

 物のあはれという言葉で表現されるたぐいの心の動きがある。それを物語の個々の場面で登場人物の言葉や態度のうちに、上手く配置して表さねばならないが、さまざまな登場人物に一様にばらまくことから始めるとその効果は薄いし、かえって作り物めいて見える。むしろ一人の主人公を圧倒的な物のあはれの体現として、そこからすべては流れだし、末梢の個々の部分でそれが反映するように考える。

まず主人公をもっとも優れた好い点を備えた人物にすること。主人公にもっとも優れた地位を、最高の栄誉を与えること、つまりは主人公その人を最終的に天皇の位に着かせなければならない。 

次にその主人公にもっとも深い物のあはれを経験させなければならない。もっとも深い物のあはれとは何か。それは、もっとも困難な恋を経験させることである。もっとも困難な経験とは何か。それは禁断の恋、最高の禁忌、すなわち臣下の者が后と恋に陥り密通するという大罪、これを犯すようにしなければならない。

最高位と最大罪という矛盾を、主人公一身に背負わせ、解決しなければならない。そのためにはどのように筋を組み立てていかねばならないか。



       

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