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『排蘆小船』

『排蘆小船』(あしわけおぶね)には、20歳代の宣長の新古今和歌集への敬服が正面切って述べられていておもしろい。

 日本人として生まれたからには和歌をつくらないでいては人生もったいないというようなことを主張し、そうして新古今の和歌の数々をいわば神棚に祀るがごとく毎日拝み味わうべきである、しかしあまりに素晴らしいので、決して直接に真似をしてはいけない、と言っている。

 新古今の歌に少しでも近づくには、新古今の作者たちの多くがそうであったように、古今、後撰、拾遺のいわゆる三代集をよく読んで、これらの歌を手本として創るべきである。新古今を直接お手本にしたり、ましてや張り合おうとしてはいけない。

 家定卿もいわく「和歌に師匠なし、旧歌を以て師とす」と述べているではないか。今(江戸時代)和歌は一見盛んで、また和歌の一分枝である連歌、俳諧なども盛んである、しかし平安のあの時代からはずいぶん衰えてきている。また、和歌の師匠たちは○○派だの何だのと家流を誇っているが、ろくなことはない。中でも有名な古今伝授というのは、それこそイワシの頭もなんとやら。

 この伝授というものは、東常縁(とうのつねより)という愚か者が後世を偽るために考え出したもので、秘伝と聞けば有り難がる大先生らがコロッと引っかかったんだな、今でも習い物には笑止千万がつきものですな。

 さて藤原定家がすぐれた歌人であったことは誰もが認める所である。そして、元俊・俊成・家定とすぐれた歌人がこの家からでたことから、一家流がすぐれた歌人を排出するものであると人々は思いこむ。しかし実際はさにあらず。定家は定家であるがゆえに名人、かりに他の家に生まれて修行したとしても名人であったにちがいない。

 しかし人の思い込みは強く、定家の流れを引く二条派が和歌の勢力をもった。それでいっそう歌道は衰えたのだ。このとき(鎌倉後期)政治騒動も相まって、二条派に対して京極派が新風を吹き込んだ。

 この京極派にたいする反発がじつに宣長らしくて面白い。「およそこの道、古今(ここん)を通じてみるに、この二集(玉葉集・風雅集)ほど風体の悪しきはなし。かりそめにも学ぶことなかれ。」宣長にしてみれば、これこそ新古今を直接真似ようとして、なかなかうまく行かず、思い切った角度から新奇さをねらった、じつに姿かたちの悪い、風雅の対極に位置するものであろう。

 これに較べれば、まだ二条派の方が正統なのである。こう語る宣長が、もし明治以降の短歌を、たとえば与謝野晶子の「その子二十(はたち) 櫛にながるる 黒髪の おごりの春の うつくしきかな」を耳にしたら、なんと言うであろう。

 歌を詠むとは、人情すなわち自分の思いを、古の歌人の真似をして詠むのがよい。人の心は時代とともに変わる。現代の複雑な、偽り多い心をそのまま詠もうとしても俗悪なままだ。俗悪な歌は実情ではない。いかに偽りが多くても歌は風雅でなくてはならない。古のたとえば三代集を手本として、自分の心を詠むように心がければ、だんだんといわば歌の姿を得ることができ、それすなわち実情を表すことができるのだ。

 歌は〈うたふ〉ということであって、長くのばしたり抑揚をつけて声に出すってことが大事だ。そういえば、どこかで読んだのだけれど、宣長は夜分一人でよく声を出していたらしい。たぶん古文書(いにしえのふみ)を読んでは、発音や抑揚をあれこれじっさいに声に試して考えていたのであろう。たぶんそうやって『古事記伝』は生まれた。
  


     

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