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『石上私淑言』1

『石上私淑言』(いそのかみささめごと)ならぬ石上小漫談

 いったい歌(うた)とは何なの。それは深く感じたとき必然的に出てくる言葉なんだ。ああとかうーんとか、溜息なんかもそうかな。でもそれだけではだめで、どうして溜息が出るのか、聞いてくれる人がなるほどそうなんだと納得して同じように深く感じてくれないといけないよ。

 そのためにはそれを話す時の調子が物を言う。たとえば、人がある驚くべき状況を他人にうまく説明しようとするとき、身ぶり手ぶりのジェスチャーをしますでしょ、話の順序、声の抑揚を工夫しますでしょ。そう、まさに歌の発生はそこにあるの。

 まず、人が深く感じてそれを短い言葉で的確に表そうとすると、ある音を長くしたり、リズムをつけたりする、そのさい5音や7音の一纏まりがなぜか古来日本人には、心にすーっと入って来るの。もちろん4音でも8音でも、音や品詞や意味の続き具合によっては、5音や7音として捉えられるからそれでもいいんだけど。

 いくら物に感じたとしても、ただぶつぶつと独り言をいうように声を出しても、また本を読む時のように淡々と声を出しても、それは歌ではないよ。人に上手く聴いてもらうように、上手くあやをつけて歌わなければならない。そこに〈あはれ〉の深さがあらわれるの。

 前にも言ったけれど、もののあはれって、とにかく物に感じることなの。どんなことでもいいのだけれど、とくに恋しいとか悲しいとかいうときには〈あはれ〉は深いの。これは人間に特有の、第六の感覚みたいなもので、誰にでも備わっているけれど、敏感な人や鈍感な人がいるわねえ。

 たとえば、耳が聞こえない人は、雷が鳴っても恐がらないね、目が見えない人は虎や幽霊が出てきても恐がらないね。同じように物のあはれの場面に遭遇しても、あはれを感じない人は、歌も出てこないわね。

いつから人は歌を歌うようになったかって。それはもう天地が開けたときから、つまりイザナギの命とイザナミの命が「あなにやし・えをとめを」「あなにやし・えをとこを」って、おたがいに唱えあわれたときからって考えられるね。『古今集』の序にもそう書いてあるし、何と言ってもこのお二人の御唱和は、五言二句のよい響きの感嘆だもん。

「あな」っていうのは、甚だ切なるっていう意味で「あなかしこ」「あなたふと」なんていうでしょ。「や」っていうのも感嘆だし、「をとめ」は、妙齢の女性、「をとこ」は若い盛りの青年、最後の「を」は、~よ!ってことで、要するに「何て好い青年!」「何て素敵な女!」って感嘆なさっているのですよ。

ということで、神代の昔から「うた」はあったのだけど、「歌」という文字を「うた」ってコトバにあてがったのは、ずっと後のことだということを忘れないでね。

   

    

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