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『三人姉妹』

諦念という言葉をふと口にしたら、チェホフが浮かんできて、何十年かぶりで読みたくなった彼の戯曲。

 遅かれ早かれ幸福は未来にやってくるとみなが思っている。そういう登場人物の一人は言う「いったいロシア人は、高尚な物の考え方をすこぶるもって得意とする人種のくせに、実生活となると、どうしてこう低級をもって任ずるんでしょうかね?」。この疑問は、19世紀後半のロシアのインテリたちの誰もが大きな驚きをもって発した疑問だ。やがてロシア人の心と現実の行動との極端な乖離は絶望的な空想に走るだろう。

 また別のインテリは語る、「モスクワのレストランの大きなホールに座ってみろ。こっちを知った人は誰もいないし、こっちでも誰ひとり知らない。それでいて自分がよそ者のような気がしないんだ。ところがここだと、向こうもこっちもみんな知り合いの仲なのに、そのくせ僕は他人なんだ…一人ぼっちのよそ者なんだ。」彼はすでに20世紀のスマートな都市型人間ではある。彼らは個人主義の仮面をかぶって、やがてマスメディアによって動かされることになろう。

 なんやかんや言っても、やはり人生は謎だらけで、人生は辛いと言う人でも、やはり幸福であり、結局は肯定しているはずであり、千年経っても人々は同じように生きているだろう、と唯一語る登場人物がいる。この人物は終わりの方で決闘で殺される。

 この男は、三人姉妹の末の妹を愛している。しかし、彼女は愛というものを知らない。彼は彼女から愛を引き出そうとして言う、「じつにくだらない、じつに馬鹿げた些事が、ふとしたはずみで、われわれの生活に重大な意義を帯びてくるようなことが、時にはありますね。相変わらず下らん事だと高をくくって笑いとばしているうちに、ずるずる引きずられて、もう踏みとどまる力が自分にはない、と思った時にすでにおそい。」人生で肝心なものはわれわれの目に隠されている。そしてとても皮肉に展開するものだ。

 この田舎町に集まった人物たちはまた去ってゆく。モスクワでの生活という夢が消えた末妹を抱いて長女は語る、「(出発する兵隊たちの)楽隊はあんなに楽しそうに、あんなに嬉しそうに鳴っている。あれを聴いていると、もう少ししたら、何のために私たちが生きているのか、何のために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ。…それがわかったら。それがわかったらね!」虚しい夢だ。


    


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コメント

No title

hi 未見太郎さん、コメントありがとう。
そうですね、すべての欲望・希望をなくして生きていくことはできませんね。
チェホフの、なんというか大きなまなざし、すべての人間喜劇を包み込んでくれるようなまなざしを、小生はほのかに感じるのです。

No title

諦念・・・・(欲望、希望を絶ち超然と生きる)って私には無理です。

体はたとえヨレヨレでも、もうちょっと泣き笑いしたいです。

私は以前、チェーホフの「退屈な話」をたいくつせず読んでこの作家のファンになりました。生命のシステムを学んで、生涯医師でもあった彼は、この短編でも、体と心の関係、孤独感など、優しいほほえみをもって魅了してくれました。 

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