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初釜に出る

 昨日、初めて初釜に参加させてもらった。先月、家人に近所の茶道の先生宅に連れていかれて、そこで一服お茶をいただいた。その御縁で、初釜に招待していただいたのであった。じつは近年お茶を習う生徒さんが激減してきたらしく、それでまったく素人の小生も今回の初釜に駆り出されたというわけである

 それにしても、これはよい経験であった。まず場所がよかった。小さいながらもこの町では一番と言われている老舗の料亭兼茶会所だ。玄関を入る。大きな李朝の俵壺に南天が活けてある。昇る初日に瑞雲が棚引く。


        玄関

奥へ歩みを進めると実に古色を帯びた丸木や椅子がそれとなく置いてある。
 
椅子1 椅子2



 四畳半ほどの控室で待つこと半時。床の間の軸に「石をなげて羊をうつ、竹を削って千金をあたふ」?と読める賛、絵は茶杓。古い銘木を思わせる床柱はむろん、小生はとくに床框(とこがまち=前の縁)に目を奪われた。これは敷居(障子などの下の横木)を、そのままあてがったものである。この屋敷はそのむかし移築して造ったと聞く。きっとその時、この小部屋の床框にそのとき余った敷居の木を利用したものであろう、今ならそのようなものは廃材として捨てて顧みないであろう。この小部屋をしつらえた人の合理性と美的創造性は茶道に通じるものではあるまいか。

     小部屋床




 しばらくして、別室に呼ばれた。そこでまず煎茶を立てていただいた。床は寒牡丹が一輪、軸は「一花開天下春」、そして左上隅から柳の枝垂れ長く流し、その先は大胆にも床框をはみ出している。右隅に小さな木製の飾り物が置いてある。

     煎茶床の間


 一煎いただいた後、先生は全周に墨で文字が書かれた桐箱を出し、皆の前で、「今日はこれを○○さんに読んでもらおうともって来ました。」と言う。○○さんとは小生のことだ。これには困惑した。ほとんど解らない。最後の鉄齋筆というのだけは解る。小生は、とりあえず目を通し、それを皆に回した。

 どうしよう、先生がああ仰るのに何も言わないのは失礼だし、場を白けさせてしまう。しばらく先生と正客との会話。それが途絶えたとき、小生は意を決して「では、判るところだけ読んでみます」と言って、箱を再び手に取り、額と背後に冷や汗を感じつつ、「なるほど、これはなんとなく鉄齋の気宇壮大な心が出ていると感じます」と大きく出た。そしてところによっては漢字をそのままに、ところによっては意味を想像して、できるだけ声が小さくならないように注意して、適当に読んだ。もちろん、まったくお話にならないので。最後に「そんな感じかな。よく解りません。」と付け加えた。もちろん耳をそばだてていた客たちは〈皆目わからん〉という顔つきである。

          桐箱


 しかし、小生はそれでいいと思った。どうせみな分からないに決まっているのだ。ただ、恐らく先生だけは小生の出鱈目に気付いている、が小生は先生の茶人としての粋を信じたのである。茶の心は〈おもてなし〉に尽きるはずだ。それなら、先生は決して場を白けさせないように、またすべての客たちにイヤな思いをさせないように、上手にその場をフォローして下さると信じた。じっさい先生は上手く取りなしてくれた、と思った。

 それから、客たちは、水を打った路地(中庭)に導かれ、型の如く順々に蹲(手水鉢)のところで手と口を清め、別室へ入る。茶道に暗い小生は、できるだけ前の人の真似をして進むのみであったが、しばしば無作法をしたようだ。分かっても分からなくても、軸や道具を畳に手をついて左に右に鑑賞し、お茶碗が回ってくると一言、感じたことを口にする。
 
路地2  路地1
    

 ここでお酒と食事。濁り酒は美味しかったが、小生はあまり飲めないので残念であった。本来この場でこそいろいろとおしゃべりをするべきなのだと感じた。右となりは先生であったので、このさいと思っていろいろと質問したが、先生の声が小さくて、しかも小生の右耳の聴覚は悪いので、半分くらいしか聞こえず、適当に相槌を打たねばならなかったのが辛かった。先生が仰る、今ではお茶と言えば女性のモノみたいだが、もともと茶道は男性のモノだった。最近は大学の茶道部に入る人は居るのだけど、ほとんどは就職活動で辞めていく、卒業後女性もみな仕事に忙しくなるから茶道などやっておれない、時代が変わってきました。

 後で家人に聞いた話だが、昔は生徒さんが沢山いて賑やかだったが、今は招待しないと初釜が開けないくらになった。先生も昔ほど迫力がなくなり、少し記憶力も衰えられ、間違いもときにされるようだ。

 こういった話を聞くにつけ、今後茶道の世界はどうなっていくのだろうか、と考えざるをえない。自宅に茶室を設け、四季折々に相応しい大量の〈お道具〉をお持ちの先生方もそのうち居なくなる、その後は誰かこれらを受け継いでいく人は居るのだろうか。高価なものは骨董屋の餌食になり、ついには諸外国にばら撒かれてゆくのだろうか。学校を出てすぐ働く女性たちは、何のために仕事をするのか、むろん〈生きてゆく〉ため、そして仕事を通じて〈自分を向上させる〉ためであろう。がしかし、そのとき日本人が長らく育んできた〈おもてなしの心〉の故郷の喪失感を味わうのではないか…。


 食事の後、いったんその部屋を離れて、トイレに行ったり、庭を眺めたりする。そして再度、路地を通って、同じ部屋に入る。新しいお道具が用意され、軸は変わっている。そして、濃茶と薄茶。お道具拝見。最後に、ラウンジにてデザートとコーヒー。一部の人たちが先生のお道具をたたんでまとめている間、屋敷を一人あちこち勝手に眺めまわした。


            

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コメント

新春

Hellblauさん、今年もよろしく。

小生は、膝の悪い人や外人のために、簡素な丸椅子とテーブルの茶道もあってもよいかな、って思いました。

最後まで自分らしい夢を紡いでいこうと思いますので、よろしくお付き合いのほどを。

新春

遅まきながら新年のご挨拶をと伺いましたら、 なんと素敵な初釜のご様子で堪能させて頂きました。

60の手習いで茶道もいいなと想っています。

三人姉妹の記事からどうも新しい記事がみられなかったので、今日はあと5つも読ませていただくことが楽しみでどうもありがとうございます!







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