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佐野の渡り



藤原定家39歳、後鳥羽院への詠進百首のうちの一首

 駒とめて袖うちはらふ陰もなし
 佐野のわたりの雪の夕ぐれ  


本歌は万葉巻三にある長忌寸奥麿(ながのいみきおくまろ)の歌、

 苦しくも降りくる雨か三輪が崎
  佐野のわたりに家もあらなくに


 本居宣長は定家の歌を評して、「とてもよい。万葉の歌の、〈苦しくも降りくる〉と〈家もあらなくに〉という心を〈袖うちはらふ陰もなし〉と一言ではっきりと表現している。そのうえ、夕暮れという語でもって宿家がないことをも表している。このごろ、もっぱら万葉振り至上主義者がこの歌を悪く言うが、それは偏見というものだ。〈袖うちはあらふ陰もなし〉は苦しい心も家のない心も備わってとてもよく哀れがでているではないか」と書いている。

 まったくその通りで、また万葉の雨を雪と変えたのは効いていて、両者の歌を比べて見ると、その姿の違いは明瞭で、鎌倉初期の定家の歌は斬新で、スマートな芸術作品という感じがする。

 ところで、奥麿の歌った三輪が崎の佐野の渡りとは、今の新宮市三輪崎佐野の川の渡し場という。しかし定家の歌の佐野のわたりはどこのことだろうか。こう問うことは野暮ったいことのような気もする。本歌を離れた言葉は現実から遊離し、あるイメージだけを喚起するいわば表音文字となる。

 安東次男氏の本で知ったのだが、源氏物語の「東屋」で、薫が浮舟の仮の宿を訪ねるところ、

 「さののわたりに、家もあらなくに、など口ずさびて、里びたる簀子の端つかたに居給へり。・・・」

 当時、奥麿の歌は自然に口に出るほど有名であったのかもしれないけれど、すべての歌が頭に入っていた紫式部のことだから、この場面に相応しい歌として薫るに口ずさませたような気がする。

 そして、『新古今和歌集』においては、定家の歌の続きに、良経の「待つ人のふもとの道は絶えぬらん軒端の杉に雪重るなり」があって、両者を並べて見れば、


駒とめて袖うちはらふ陰もなし
     さののわたりの雪の夕ぐれ

待つ人のふもとの道はたえぬらむ
軒端の杉に雪おもるなり

 安東氏によれば、これは「王朝の恋から無常までの物語を、続きの歌で言い現した、・・・前歌は男で後歌は女の姿である。・・・これは宇治十帖の恋の結着をおもかげとした仕立てだということは容易にわかる」と言う。そして「浮舟」の巻で、雪深い山道を踏み分けて宇治を訪うた匂宮を連想している。たしかに、こう言われると定家の歌がまた新たな、まるで美しい屏風の絵を見ているような、感覚を呼び起こす。

 『新古今』が『源氏』を意識して編集されたということがあるのだろうか。まあ、それにしても言葉はイメージを蔵して人々をめぐり、日常言語の中にさえ伝統として生きる。いったいリアリティとは言葉の側にあるのか、事実の側にあるのか。


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