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神宮の祭

先日、伊勢神宮と春日大社とを取り上げた番組を見た。ここでは奈良・平安の昔より延々と続くお祭りが、じつに多くのお祭りが、密かに今なお全く同じ形式で続けられていることに改めて驚いた。

 一例をあげれば、日ごと神に供える新撰。米は専用の田んぼで古来の手法での田植えや稲穂取りを神官らが伝統の衣装を身にまとってする。塩も同様、専用の塩田で日を重ねて作る。海山の幸もきっと決まった所からのものであろう。

 また、神前に供える工芸品も昔ながらの手法・手続きで作られる。例えば織物は、その図面すら昔のものを、同じ素材の筆を作り、同じ顔料で、手で書き写すことから始める。毎回そうなのだ。コピー機がある現代の目で見るととても非効率的だ。手は機械ほど正確でもないから、ちょっとしたミスがあってもやり直さねばならない。

 しかし、あえて昔ながらの形式を踏むことによって、神への供え物を創るという気持ち、緊張感・努力感・喜びを体験できるのだろう。だからその形式は古くて新しいものだ。そう思うと、たとえば伊勢の式年遷宮というのは創造の源泉に立ち返ることなんだ、最も古くてもっとも新しい感情の源泉なのだと思う。

 現代では、われわれの住まいから日用品まで、すべてはいかに高級品でも大量生産品であって、われわれ日本人は、これらはみな偽物ではないか、どこかに〈本物〉が在るはずである、どこかに文化の中心が、オリジナルが、われわれの身の回りの品々が出てくる遠い源泉があるに違いないと信じているのではないか。

 〈手作り〉という言葉にわれわれが感じているニュアンスには、ちょっとそういったものがあるのではないかな。めんどうであるし、不確かでもあるが、真剣に時間をかけて作ったものには、作った者の心が込められていると感じている。神社の儀式には多くそれがそのまま残っている。


            


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コメント

大本教

辻さん、ご紹介ありがとう。
大本教、出口氏の事は、昔ちょっと調べたことがあります。もうすっかり忘れましたが・・・。
『第三文明の~』の言霊分析は面白いですね、途中で難しくて嫌になってきましたが(笑)。谷口雅春氏の万教帰一やヘーゲル哲学やちょっと前有名になった『神との対話』を思い出しました。
しかし、まあ小生は、宇宙やら生命やらいうのは、理論で統一的に掴むにはあまりに大きすぎると感じますし、そのような性急な企ては、無理に理屈付けしようとして、結局なにを言っているのか解らなくなるのが落ちではないでしょうか。

紹介

節分

こんばんは、忠太郎さま。
昨日の朝の空気に春を感じました。
ああ、春が来たのだ、あのなつかしい春。むかし、子供のころ
よく鉄道沿いの土手に土筆とりに行ったときの、あの空気だ、
と思いました。
節分の豆まきをするごとに、これで冬ともお別れだ、と思います。
今年の節分は小生にとっても特別なものです。
仰せのごとく、出来るだけ気をこめて、元気であるように祈る所存、ありがとう。

節分

まもなく2月3日 節分です。
老若男女 厄除祈願 家内安全 身体健康 をお祈りします。
誰もが、今年も元気で暮らしたいと思っています。
真心込めてお祈りすれば、仏様もきつとお聞き届けていただける事と、信じています。          合掌

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世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

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