スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

バリ島に行く3

Iとの付き合いは、17歳くらいから26歳くらいまでの約10年間くらいだ。この多感ないわゆる青春時代に、小生はIを尊敬し、またIからもっとも影響を受けた。高校時代、一度として同じクラスではなかったように思う。どうして彼と知り合うようになったのか分からない。彼は早熟だった。おそらく彼から見ると小生は幼稚なおぼっちゃんに見えたであろう。家の遠い彼は下宿をしていた。われわれ数人の〈仲間〉は時々彼の下宿に行った。彼の部屋の本棚には「漱石全集」をはじめ多くの文学や哲学の本が並んでいた。

 彼は修学旅行には行かなかった。おそらく急病を装って、旅行の積立金を返してもらい、そのお金で本を買った。たぶん「折口信夫全集」だったと思う。キルケゴールという名を小生に教えてくれたのもそのころだ。そんなことで彼は非常な読書家であった。彼と一緒に他の仲間の家に行って、ビートルズやジャズのレコードをよく聴いた。深夜スーパーマーケットに忍び込んで盗んだガムを食べながら川の堤に座って、朝やけの空を眺めたこともあった。いつの間にか、われわれは彼をリーダーと呼んでいた。

小生がIを尊敬していたのは、彼が読書家で勉強がよくできたからではない。彼は繊細というのか、他人にたいして非常に細やかな心をもっていたからだ。一番強く印象に残っているのは、彼と小生と小生の友人Sと三人で、当時小生の一番の親友Oの家を訪ねた時のことだ。Oは、事情はよく解らなかったが、両親と別居していた。お祖母さんが彼の面倒をみていた。そのお祖母さんはとても歳をとっているように見えた。

そのお祖母さんが、Oの友達が訪ねて来てくれたということで、カレーライスを作ってくれた。それが、部屋や台所の状況とともに、見た眼にとても汚らしく、とても食べる気がしなかった。お腹もじっさいそんなに空いていなかったのかもしれない。ふだんからきれい好きのSはほとんど口をつけなかった。小生は、せっかくお祖母さんが出してくれたのだから食べなければと思いつつも、どうしても半分くらいしか咽を通らなかった。しかし、Iは頑張って全部食べた。小生には、それがOとお祖母さんの気持ちを察して無理して食べたことが、よく解ったのだ。小生は自分の無力を恥じた

そういえば、その後いつだったか29年間フィリピンで一人奮戦していた小野田少尉の帰国のことを話題にしたことがあった。小生が「うーん、29年間か・・・」とつぶやいたとき、Iは期間の長さは問題ではないと言った。小生は自分が解っていないことに気付かされた。

みなで、誰かの失態をからかったりしていると、Iは「だれでもそんなことをするではないか」と、われわれをたしなめることもあった。そういうとき、われわれはハッとして、彼を良心の権化のように感じるのだった。

Iは高校を卒業して上京した。彼の口癖は東大でなければ大学に行かない、であった。文化系の科目は抜群だった、だけど、彼は数学が非常に苦手であった。当然、東大は落ちた。慶応や早稲田なら、居眠り半分でも合格できたであろうに。しかし、両親をうまく誤魔化して、大学か予備校に通っているような振りをし、仕送りをせしめていたようだった。今から思うに、彼はハナから大学など行く気はなかったのだ。万一、東大に入っても、半年か一年かで退学していたのではなかろうか。彼が、まともに授業に出席し、試験をうけている姿は想像できない。ましてや、就職して長く仕事を続けるなんてことは考えられない。そのころすでに彼は周囲にたいして不安を抱かせる人物であった。以来、彼は二度と故郷の地に足を踏み入れることはなかった。

小生も上京した。中ぐらいの理系頭の小生は浪人して医大に入った。そのころIとはあまり会わなかったが、あるときIとAと小生はいっしょに、映画「冒険者たち」を見に行った。終わりのほうで、いい者である主人公らを悪い奴らが襲ってくる、いい者の一人は殺される、しかしもう一方が、うまく悪漢らを次々にやっつける、というシーンがあった。その時、Iは手を打ち、喜びの声を上げつづけた。彼のその無邪気さに小生は深く感銘をうけた。

しばらくの後、またわれわれはよく付き合うようになった。彼は、サングラスをし、かっこいい裾の広がったジーパンを穿いていた。青山のなんとかという店で買ったのだという。しかし、どうも気に入らない部分があるから直しに行く、一緒に行こうと言った。そのときの彼の恥ずかしそうな顔を思い出す。彼は何をして生きているのであろう、どこかでバイトでもしているのであろうか、小生はいぶかったが、なぜかそのようなことを訊ねたことはない。

ある時、音楽狂であった小生が、彼にモーツァルトのピアノ協奏曲no.17を聴かせて感想を求めた。彼は「これは丸と三角だ」と答えた。その時、小生は嬉しかった、その意味が判ったからである。当時彼がよく聴いていた音楽はロックであった。何回か二人で、小生のマンションで徹夜で音楽を聴きまくり、踊りまくった。彼は「ニーチェが音楽は個体解体の原理だというのは本当だ」と言った。ピンクフロイド、レッドツェッペリン、ディープパープル、バルトーク、ベートーヴェン、ストラヴィンスキー、長唄、能楽囃子、・・・そして夜が明けてくると、決まって『フィガロの結婚』の伯爵夫人のアリアで締めくくった。彼は言った「これは天上の音楽だ」と。ときにマリファナをもってきてくれた。

あるとき彼は小生に本をくれた、「les deux sources de la morale et de la religion」これ、彼は原文で全部読んだとは思わないが、後に邦訳本は小生の愛読書となった。今なお我が手元にあるこの原書は、唯一彼の手垢が付いたものだ。これも小生の棺桶に入れてもらうことにしよう。

26歳くらいの時には、われわれはもう別々の夢に捉えられていた。別れる時がきたのである。彼はきっと小生の凡庸な人生を見限ったのだろう。しかし、小生の彼への敬愛の念は決して消えることがなかった。そしていつかまた会えると信じていた。

数年前Aから、Iはバリ島で死んだと聞いたとき、驚きと同時に、やっぱりそうかと思った。と同時に、もう彼に二度と会えない無念さが心を圧した。若い日のIの写真を見て苦しくなるばかりだ。Iのような男は、この世ではとても生きにくかったに違いない。彼の繊細な魂は、たとえば学校や病院や介護施設などのホスピタリティの限界というか、この世のあらゆる制度の必至の欺瞞には耐えられなかったと思われる。近代の画家や詩人の中には人里離れた地に逃避した者がいたが、彼らには絵画や詩があった。Iには何があったのだろう。文学で若年期をスタートした彼は一編の詩も残さなかったのであろうか。彼の晩年に親しかった人に訊いてみたい。

         *

帰り、シンガポールを深夜一時過ぎ離陸した飛行機は、4時ごろまで、機内を暗くしてくれている。そのあいだ窓外に目を凝らすと、大小の星星がぎっしりとひしめいているのが見えた。そして思った、今この瞬間に新しく生まれている星もあろうし、消滅している星もあろう。消滅した星は散り散りになって、また新しい星の素材になる。星は新たな神話の素材になり、新たな人たちはその神話を生きる。その人たちの生もまたたく間に過ぎ去ってゆく。何に対して? 
すべては次々に思い出となって、そして自分だけが〈今ここ〉に居る。


     

      ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

プロフィール

うたのすけ

Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。