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『土佐日記』

なにとなく春になりぬときく日より
   心にかかる瀬戸の船旅…ってことで、

『土佐日記』と聞けば、土佐から京への、光のどけき春の日の旅路を綴った随想だと思っていたが、それは小生の思い違いだった。

 作者(紀貫之)は、数年間、土佐守としての任務を終え、承平4年(934年)12月21日、帰京すべく任地を去る。京へ着いたのは、翌年の2月16日。その約三カ月間、貫之ら一行の旅のほとんどは船旅であった。土佐の港から室戸岬を回って、今の徳島市、そして鳴門海峡を横切って、淡路島、和歌山、難波津から淀川を遡って京都へ。

 驚くべきことに、寒い時期の船旅であるにもかかわらず、寒いという言葉がない。もちろん航海は沿岸伝いで、所どころで寄港する。海が荒れて、船を出せない日も多々あって、予定通り進まない。

 また航海は、とくに土佐の港から淡路までは夜間が多い。一つの理由として明るい間は海賊がよく出るからという。しかし、今のように村には明かりがないだろうに、月明かりと星を頼りに航行したのだろう。鳴門海峡を渡る時も、海賊に見つからないように、夜間決行である。船中の皆は神仏に祈る。それにしても渦に巻き込まれることはなかったのだろうか。

 一行は一刻も早く京に帰りたい一心である。船中のつれづれに、男は酒を飲んだり漢詩を作ったり、女や子供は歌を詠んだりしている。

 たまくしげ箱のうらなみ立たぬ日は
     海を鏡とたれか見ざらむ


 昔も今も海が凪いでいるときは、海面が鏡のようだと誰もが言う。

 いよいよ難波に近づく、「住吉のわたりを漕ぎゆく。ある人のよめる歌、

 今見てぞ身をば知りぬる住江(すみのえ)の
     松より先にわれは経にけり


 久しぶりに見る住吉の松は千年の緑を湛えているが、私は、数年で歳をとってしまったことよ。

 洗練された都人である貫之から見て、船長は鄙びていて下品な人間であることが強調されているし、また船中には、土佐の地で出産したが、その子を亡くして、帰京の途についた女性(貫之の妻らしい)もいて、しばしば同乗者はその女性の悲しみに触れる。

 この悲嘆にくれる母は、住吉あたりでこう詠う、

 住江に船さし寄せよ忘れ草
     しるしありやと摘みてゆくべく


 住吉の岸辺に船を寄せよ、あの子のことを忘れる効きめがあるなら、それを摘んでいきたいから。

 そして作者は、この母が悲しさに堪えずして歌を詠むにつけ、こんな風にも語っている。「父もこれを聞いて、どんなに心を痛めているであろう。泣いたり、歌を詠ったりするのも、好きだからと言ってできるものではないだろう。唐土(もろこし)でもここ(わが国)でも、思うことに堪えられない時こそ、歌が生まれるのであろう…。」

 漢詩に堪能で『古今集』仮名序執筆者としての面目躍如


     


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