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『地下室の手記』

30年くらい前に読んだものだが、まるで昨日読んだみたいであり、まったく違和感なく、今現在のこととして理解しながら読めた。おそらくこの地下の住人のような思考回路に日頃から比較的親しく接しているためかと思われる。

 思考回路という言葉は好きではない。しかし、この場合そういうのがぴったりである。つまり考えれば考えるほど、結局は同じところをくるくる回っていることに気が付くのであって、それがまた苛立たしく、別の脱出口がたまたま見つかって進んで行っても、また来た道を歩んでいることに気が付いて、絶望的な苦しさを味わう。しかしじつは最初からそのことをすでに予感していて、その予感が達成されたという意識がたえず伴う。そしてその進行には同時にまた強烈な快感を伴うことがあるから救いようがない。

 その昔、ある精神科医が統合失調症の患者を評して〈反省地獄〉と言ったことが忘れられない。患者はある行為をなす、あるいは―この方が圧倒的に多いのであるが―なさない理由を考える。どんどん考え出す。そこでやめときゃいいのに、彼の自意識は強烈で、やめられない。どこまでも言い訳をせざるを得ない。他者に対して、そして、むしろ自分に対して。

 地下の住人は、つねにいらいらして、考えて、考えて、考えた末にやってしまう。しかし決まってじつにドジなことをやってしまう。そして、ここが肝心な点だが、そんなことは初めから自分でもよく解っていたのだ。自分の行為の予見は的中する。それがまた苛立たせる。周囲の人間は、不器用な彼を避ける。自意識という限り彼は正統である。だから、彼は周囲の人たちの欺瞞がよく見える。

 いっぽう彼は、周囲の人たちのいわゆる立身出世、上手な生き方、生活を楽しめること、その安楽で希薄な意識を羨んでもいる。そして同時に軽蔑している。地下の住人は、その理由として自分は「教養のある頭のいい現代人」だから、と言う。たしかに彼は頭がいい。自分の他人に及ぼす影響に関して常に理屈をこねまわしている。しかし彼は成功しない。彼は失敗し続ける。さらに、そういう自分自身をもっとも軽蔑している。

 地下の住人と統合失調症の人とは一見とても似ている。両者とも、小生から見ると、身の丈に合わないところのものを得ようとしている。得られないから、いらいらしたり、絶望したりしているし、たえず自他にたいして言い訳をしている。それは延々と続き、目覚めてはこれは夢だったかと気が付くように、だんだんと深まるようでいて、同じ回路をぐるぐる回っているにすぎない。

 だが両者の決定的な違いがある。それは、地下の住人の心のうちには、その形は漠としているが、方向がはっきりした一つの渇望がある。この絶対的渇望のゆえに、いっさいの地上的現実が明瞭に相対化される。ドンキホーテを、彼の理想と行為をそのままにさせておいて、毎瞬間ごとに反省地獄に陥らせたら、どうなんだろう、とは無意味な想像である。だが、そんな想像をしたくならせるものが、地下の住人にはある。

 しかし、人間が生きる典型とはこういうことではないだろうか。彼の生には何か非常に具体的なものがある。統合失調症の人たちも強い希望をもっている。しかし彼らの生には具体的なものが欠けている。われわれ凡人はその中間ぐらいに漂っていると言えるかな。


       

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