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偽問 2

 
引きこもりの人は、一人部屋に引きこもって、いろいろな事を考えているみたいだ。とは言っても、じつは同じことを繰り返し自問自答しているようだけど。先日、引きこもり人と話をしていた。彼が言うには、うんと将来、遠い星の人たちとコンタクトをとることになろう。そのとき人類はテレポーテーションを使って瞬間移動できるようになるだろう、と。

 それに対して小生はこう答えた。テレポーテーションなんて考えられない。われわれは、この物質的肉体を持っている以上、光より速く移動することはできないと。これに対して彼が言うには、「いま考えられないことでも、将来は実現しているに違いない。今われわれが携帯電話でどこの誰とも交信できることなんて、縄文時代の人たちから見れば、とてもとても信じられないことが起こっているのと同じである。いま理論的に考えられることのみを根拠にしてしかものを考えられないのは、非常に視野が狭いのではないか。」

 さて、彼が言うように、小生の視野が狭いのか、それとも彼が行きすぎているのか。・・・それにしても、彼の言うことは絶対に間違っているとは言えないにしても、あまりに先のこと過ぎて、むしろ何とでも言えるのではあるまいかと感じるのである。

 言葉というモノは、遠い昔おそらく実際生活に便利な道具として発達してきたと思う。初めは、木とか火とか石とかいう名詞、そして獲るとか行くとかいう動詞などが発明されたのではないのかな。あるいは動物の鳴き声のように、危険だ逃げろとか獲物があるぞとかいうのが先かもしれない。まあ、なんにせよ、それらは発達して、心の中の思いを、希望や後悔を、そして表せるようになった。その最たる言葉は、日本列島ではカミではないのかな。生活が安定してきて食べるためだけに生きる時間を減らせるようになってきたとき、人は一段と抽象的な事を話せるようになり、ついには物語を生んだ。わが国では、文字を使用するはるか以前に、すでに浦島太郎やかぐや姫の類のサイエンスフィクションを人々は楽しんでいた。
 言葉の組み合わせでもって何でも表せるとなったとき、ひょっとして言葉はわれわれの理屈を超えたものをも表せるかもしれない、そういう実験をしてみようと考える人も出てくる。つとに『万葉集』巻16にそういうのがある。

無心所著(ナンセンス)の歌二首と題して、

  我妹子(わぎもこ)が額に生ふる双六の
        牡(ことひ)の牛の鞍の上の瘡(かさ)
3838

 現代風に翻案すれば、例えば、

 貴女の顔にある三角と黄色い北海道を足すと
     二十四の瞳になる


 となる。文法的(SVOC)には問題なくとも、ほとんど無意味である。

 あの引きこもりの言うことは、小生にはそんなふうな言葉遊びに聞こえるのである。小生は視野が狭く、遅れているのであろうか。

 ところで、言葉が現実の分析に向かうとこんなトリックもできる。紀元前5世紀のゼノンの有名な話。

 アキレスと亀の競争だ。例えばアキレスは亀の二倍の速さで走れる。亀は遅いので、ハンディーとして、だいぶん先にスタート地点を置いてやろう。そうして、よーいドン。
 アキレスが亀のスタートした地点に到達したとき、亀はすでにその半分の距離分前を走っている。次にアキレスがそこに到達したとき、亀はその半分前に行っている。さらにアキレスがそこに到達したとき、亀はその半分前を行っている。・・・この手続きを何万回進めても、つねに亀はアキレスの前にいる。だから、アキレスは決して亀を抜くことはできないでしょ。

  こう問われれば、さてどう答える。    
                        へっへっ



       

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