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偽問2の系

 あらゆる動きはシンプルなものである。アキレスの歩みも亀の歩みも、現実の動きとして見た通り感じれば、分割できないシンプルな動きである。

 それを、量として、つまり平面の上の線として還元してしまうのが、幾何学であり数学なんだな。科学が成功するのは、その還元があってこそだ。

 それで思い出すのが、生物の進化の科学的アプローチだ。生命というのは、ほんとうに不思議だ。この地球上のあらゆる生命は種に分化して、それぞれの種は闘争したり、協力したりして、種としてとにかく生き延びようとしているように見える。細菌や昆虫や植物のみならず、あらゆる生き物は、あの手この手で、驚くほど手の込んだやり方で、なんとか生き延びようとしているように見える。

 おそらく地球上だけでなく、ほぼ無限の広い宇宙の幾つかの条件のよい惑星上であれば、同じように生命は其の惑星に住みつき、カビのようにまとわりついて、種として分化することによって、何とか環境の変化にも耐えて、生き延びようとしているに違いない。いったん生命がある所に生きる場所を見つけたら、何とかしてこの物質世界で繁栄しようとする。そう思うと、何のためにいったい、と不思議を通り越して、呆然とするしかない。

 で、この地球上にいる生物種の発生なのだけれど、例えば、蟻でもカラスでもなんでもいいけれど、コウモリを取り上げてみよう。コウモリはこの明るい世界で餌をとり合うなどの闘争を避けて、暗い洞窟に住む場所を見つけたという。ある時とつぜん洞窟にコウモリという種が何匹か無から発生したとは考えにくい。ある動物から分化して出現したのであろう。

 では、前コウモリの目が退化したのと、超音波装置を作りだしたのとどちらが先なのであろうか。ふつう目が退化していったから、それに代わる超音波装置を作りだしたと考えるであろう。なんで目が退化したかというと、暗いところで住むようになったからだ。それにしても、それぞれの時期があまり異なると死滅してしまうから、おそらくそれら、つまり暗い所に住む事と目が退化する事と超音波装置を持つこととほぼ同時でなければならない。たまたま出鱈目に重なったなどとは考えにくい。

 そして、一口に超音波装置と言っても、超音波を発する器官と、跳ね返ってくる超音波をキャッチする器官と同時に作らなければ意味がない。たまたまそれらが別々に偶然、意味もなく体に出現したなんて考えられない。つまり、それらは目的をもって全てが変化してきたとしか考えられない。少なくとも振り返ってみれば、そう見える。われわれは、この驚きから決して逃れることはできない。科学の分析がさらに精緻になればなるほど、むしろわれわれの驚嘆は大きくなるであろうと、小生は信じる。

 すべての生物の分化は合理的で、その変化は全体としてみるとシンプルなものである。それに対して、その流れを、科学的アプローチは細かく分断して、何枚もの画像を描く。その過程は複雑である。いったん微分したものを、後に積分して、動きを捉えたつもりになる。しかし、現実の動きそのものが抜け落ちている。ダーウイニズムとはそのようなものである。

 われわれは絶えず、現実の動きを認知する能力をもっている。その動きそのものを数学は捉えることができない。そして、われわれは逆に、動きそのものを一段と深く捉えようとする能力ももっている。それは動きを量でなく、動きそのものを、つまり質として感じる能力ではなかろうか。いわゆる芸術の源泉もここにあるのではないか。


     


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