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真実と動き

 偽問2の系2

 われわれがふだん見ているところの世の動きは、真実在ではなく、虚像である、とプラトンは言う。あのギリシャの彫像の作者たちは一瞬の真実在を捉えようとしているようにも見える。ギリシャ人にとって、永遠とはエーゲ海の上の幻のような神々のものうい瞬間的な世界なのであろうか。

 それにたいして、キリスト教においては、永遠は絶えざる変革、絶えざる倫理的追求、絶えざる自己革新というダイナミックな動きである。彼らにとって、むしろ真実在とは動きであって、ほんらい形象は不要である。

 さて、われわれには第三の道が開けている。アキレスが亀を追い抜く。これをアキレスと亀だけに注意せず、全体像の変化として捉えると、どうなるか。たとえば画家ならそう考えるであろう。絶えざる変化を認めつつ、しかしそこに倫理的要素を混じえず、ありのままに肯定する。そこには一部を切り取るような恣意的な自己というものが消えている。むしろ自己も全体の中の一部として溶け込んでいる。ここには永遠なるものは問題にならず、無常が取って代わる。

 この自己滅却、爽やかな謙虚は、われわれ日本人が長く育んできた感性である。われわれには、キリスト教のような倫理的強さはないであろうし、ギリシャの現実から離れた晴朗な神々の世界も持たないであろう。しかし、われわれは動きや変化をそのまま〈無常〉として受け取り、その世界に身をゆだねる。そこから豊饒なる美の世界が生みだされる。「世界は美的現象として是認できるか」という西洋の問いは、わが国において自然にとうの昔に解決されている。
 

       


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