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クチナシの香 2

それから一年もしないあいだに、お婆さんは他界されたのだのだけれど・・・

 とにかくその鉢植えをもらってから、しばらく、たぶん1週間かそこら、小生はこのクチナシの香りを楽しんだ。ところで、ちょうどそのころ梅雨っぽい日々のつれづれに、一冊の本を読んでいた。その本のおかげで、小生は、明るい南国の空の下、芳しく色彩豊かな花々や優しい瞳に囲まれた、自由で怠惰な、そして神秘な日日に、遠く想いを馳せていた。その本は、ポール・ゴーギャンの『ノアノア』(タヒチ紀行)。

 生来の遊惰なたちである小生。その学生生活の夢見心地の真っただ中に、クチナシの香りがやってきたものだから、夢から覚めるどころか、(タイミングが悪い!)、夢の中で、現実感覚(クチナシの香)と美の世界(ゴーギャンの作品)とが、分かちがたく繋がり合い、溶け合い、放置するままに、年年深めあって、固定観念のようになってしまった。

もはや小生、現実にそんな桃源郷のようないいところはないととっくに観念しているが、思えば、人は、むしろ勤勉な人は、終生心に南国の海と空をいだいていて、定年後は向こうに移り住みたいと考えている人がけっこう多いと耳にする。

 いま思うに、たしかにゴーギャンは、その昔、この地上に生きていたし、彼がタヒチ島に足を踏み入れた時はすでにフランスの植民地になっていたはずで、ひょっとして彼は、南国の夢など見ていなかったのかもしれない。そして絵画は絵画であって、つまり作品の制作という手仕事には、われわれの預かり知らない実際的な工夫・努力が必要であって、それはこちらの怠惰な夢とは何の関係もないはずだ。小生は『ノアノア』に騙されていたのではなかろうか。あるいは勝手に放蕩の夢をいだいていたのではなかろうか。この期に及んで、ふとこんな疑問が浮かんできて、もういちど彼の作品に接しなくてはならない・・・。

 西洋絵画集で、主だった画家の作品を注意してざっと見ていくと、19世紀に入って、とくにドラクロワでもって、絵画はぐっと変わってくる。それはあえて言えば、色彩の配置、そのダイナミズムとでも言おうか。その後、印象派の衝撃の真っただ中で、モネなどはその道を極端に推し進めたが、むしろ印象派の影響から脱しようとして、幾多の個性的な才能が花開いた。そしてゴーギャンは一つの曲がり角、と言うよりも、彼をもって一つの大きな新しい枝が出てきたように見える、と言えばオーバーであろうか。

光を捉えようという革命的視覚実験の、あたかも巨大な新花火の爆発実験の余波を受けて、画家たちは、それぞれの資質に応じた問題に、不本意にも見舞われることとなった。その問題とは、たんに視覚的な問題ではなく、結局むしろ思想的と言っていいような問題だ。つまり、物を見るとはどういうことか、対象を描くとはいかなることか、目によって物の内奥を捉えることができるだろうか。自然に触れようとしている自分とは何かなど、うまく言葉で表すことはできないが、とにかく存在の根源に迫るような問題に触れなくてはならなかったように思われる。

ゴーギャンの新しさは、色そのものが一つの意味を、思想をもっているように描いたところではあるまいか。彼の大胆な色彩画面が、幻惑的な装飾とあいまって、何物かと戦っているように見える。小生は彼の自画像を好むが、それらは彼の表そうとしたところと隠そうとしたところの、微妙なせめぎ合いから生まれてきたように見える。

彼の『私記』のなかに、ストリンドベルクのゴーギャンへの絶縁状のような手紙を読むことができる。彼は書いている、「ゴーギャンは、窮屈な文明を憎む未開人であり、創造主を妬んで、暇をぬすんで小さな創造をする巨人のようなものであり、他の玩具を作るために自分の玩具をこわす子供であり、大衆とともに空を青と見るより、赤と見ることを好んで、否認し、挑戦するものである。」じつにその通りと思う。誰でもゴーギャンのヨーロッパ文明への憎悪、未開人の美の発見を口にする。しかし、彼はタヒチ島にのがれて満足を得たのであろうか。否。

彼が好んで表そうとした大胆不敵、不逞の裏に、彼のふと顕れる繊細さ、しかもそれをあまりにも平気で表すので、かえって人はそれに気付かない。そんな気がする。だから複雑そうに見える彼の性格は、じつはあまりに率直であることからくる、と言ってもよいかもしれない。今回、『私記』をあらためて読みなおして思うに、これは、百パーセント文字通り、信じて読まなければ、きっと間違うと感じる。
ゴッホについて書かれた部分は、こんなくだりで終わっている。「ジャン・ドランは、その著『怪物』のなかに書いている、『ゴーギャンが〈ヴィンセント〉という時、その声はやさしい』と。そのことを知らなくても、よく見抜いている。ジャン・ドランは正しい。そのわけは人が知っている。」 どんないきさつがあろうとも、ゴーギャンがゴッホと、たった二カ月といえど、生活を共にしたのは、偶然とは思えない。かれが、アルルにいるゴッホの呼び掛けに応じたのは、「ついにヴィンセントの真剣な友情にほだされて」と、さらりと書いてはいるが、じつはゴーギャンの心の最深部が望んで応じたのではなかったか。そして彼はそのことを充分意識していたと思われる。

世人は、ゴッホの異常性やゴーギャンとの付き合いについていろいろな事を言うだろう。しかし、ゴーギャンは、あらゆることについて、一切弁解がましいことは口にしなかった。それは、当時のヨーロッパ人の常識にたいする侮蔑のゆえである。彼は、ゴッホの発病後にふれて書いている「精神病院にいれられて、何カ月かの間隔をおいては充分な理性をとりもどし、自分の身の上を理解したり、人も知るあの驚嘆すべき何枚かの作品を、嵐のように描いた人間の、かぎりない苦しみだけは言っておきたい」。

ゴーギャンには、タヒチに行こうと、どこに行こうと、逃れられないものがあった。それは、当時タヒチ島はフランスの植民地であり、すでに文明人に侵されていた、という意味ではない。それは、彼自身の内部からくる強い反抗心であり、それは無限の海のような原始への尽きせぬ苦しい憬れではなかったか。

フランス人の父とペルー人の母との混血の彼は、少年にしてすでに大西洋を行き来し、その船中において父を亡くし、17歳にして見習い水夫となり、南米航路についている間に母を失っている。彼が本格的に絵画修業に乗り出したのは35歳を過ぎてからだ。43歳パナマに脱出。タヒチ島行きが叶うのは43歳のときだ。

こころ自由(まま)なる人間は、
とはに賞づらむ大海を。
海こそ人の鏡なれ。(ボードレール)

しかし、彼を南海に駆り立てたものは、いわば文明のくびきへの反逆であり、この傲岸不遜のポーズをとらざるを得ないようにしているものは、むしろ深い悲しみであった。彼の絵に反逆を見ることはできない。むしろ祈りとも悲しみとも見える。小生は、いまそんなふうに彼を理解する。『雪の日のブルターニュ』を、南国における死に際にまで筆を入れていたというエピソードを知って、いっそうその感じを強くする。

「モーレア島は水平線上にあり、太陽がそれに近づく。私は、ぼんやりとその悲しげな信仰を追っている。わたしは、これからも永遠につづく運動を感じている―断じて消えないであろう普遍の生命。
そして夜がくる。すべてが憩う。私の眼は、私の前を逃げてゆく無限の空間のなかに、ぼんやり夢を見るために閉じられる。そして私は、私の希望の悲しい進行を心楽しく感じている。」



   くちなしの香りのもとは幾重なる
       真白き花のなかにやありける


     


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