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『薔薇の名前』

いつか読もうと思っていた小説の一つ。

時は1327年、場所は北イタリアの僧院。

 教皇を頂点とするキリスト教会が、その秩序を危うくしうる派閥の僧を異端審問にかけて粛清してゆく。ヨーロッパ中に吹き荒れたこの嵐はついにこの僧院に及んできた。この僧院には、過去に様々な派閥に属していた僧たちが集まってきているのだった。それと前後して、僧院内で殺人事件が次々と起こる。その事件のなぞとは・・・。

 この僧院には、キリスト教関係の文書が大量に保存されているが、誰もがその文書を自由に閲覧することは許されてはいない。すべての文書の管理は文書館長ただ一人の手にゆだねられている。

 文書の保管場所は迷路のような異形の建物であり、さらにこの内部には、文書館長しか知らない秘密の部屋がある。そこには禁断の文書が保存されている。そして密かにその在り処を嗅ぎつけ、それに触れた若い学僧たちが、何者かに殺害されてゆく。

じつは、この殺人事件は、今は盲目となっている元文書館長である老僧が仕組んだ罠によるものだった。この事件の謎を解くために一人の人物が要請された。この人物(主人公)は元異端審問官であったが、皇帝派と組んだフランチェスコ会に属する僧であった。

お察っしのとおり、この物語は教皇派と異端派(フランチェスコ会はその最大派閥)との対立がベースになっている。両派は、執拗に〈清貧論争〉に明け暮れる。つまりキリストは物質的な何物をも持たなかったのかどうか。その問題に関して、異端派は徹底して清貧を主張し、己もかくあるべしと行動する。しかし、教皇派は弾劾する、その行き着くところは精神的アナーキーであり、ISのごとき、非道な暴力集団に堕しているではないか、これを地上から排除しなければならないのは当然ではないか、と。

では、例の禁断の文書とは何か。なぜ学僧の好奇な目から隠されなければならないのか。なぜその文書が読まれるのを文書館長はかくも恐れるのか。それは、教皇派にとって何か不利になることが書かれているのではなか。しかもそれは、中世ヨーロッパとって最も権威ある者によって書かれたものではないか、と読者は興味をそそられてゆく。

もしかして、それはアリストテレスの失われた『詩学』の一部ではないか、と主人公は疑を深めるが、それは図星であった。かの盲目の元文書館長である老僧は言う、「あの人物(アリストテレス)の著した書物は、キリスト教が何世紀にもわたって蓄積してきた知恵の一部を破壊してきた。」ひょっとすると、それはもう神の否定の一歩手前ではなかろうか。信徒たちがあれを読んだらどうなる。すべてのこの世の掟は、人間的なパロディ、笑いとなって発散されてしまう。それゆえ、この文書に近づいた学僧たちを生かしておくわけにはいかない、と彼は物語の終わりの方で白状する。

主人公は、こういういわば神への信仰でがんじがらめになった人たちには笑いがないことを指摘して言う、「悪魔は精神の倨傲だ。微笑のない信仰、決して疑惑に取りつかれることのない真実だ。」じつは、神への過度の愛からこそ反キリストは生まれてくるものだ、と。

物語は、キリスト教の歴史に秘められた人間の心の暗い洞窟に、ロウソクのほのかな光を灯して進んでいくようだ。

ところで、殺人の手段はどうなの、どうして盲目の僧が人を殺せるのって。まあそれは言わないでおこう。めんどだし、これから読む人もいるだろうから。


     

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