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マコンデ彫刻 2

妻の実家の近くに古いビルがある。その2階に目立たない古美術店があった。古美術店とは言っても、じつはガラクタ屋といった方がいいほど、世界中の古今のモノが、ほとんど無秩序に、所狭しと置いてある。木製の浮輪や古い金魚鉢、南洋のサンゴや貝殻、古代ローマ風の彫像、ヘンなマッチの玩具、プラスティック製の蛙、得体のしれない茶碗や壺、南米の織物や焼き物、東欧かどこかの蝶や玉虫、壊れた楽器、・・・。当時、小生は主に古い東洋の焼き物に関心があったが、ふと片隅に置かれていた何体かの黒い彫刻に目がとまった。マコンデ彫刻と小生の出遭いである。以来、何度この店に足を運んだことか。それはまた、そもそも商売になるのかならないのか、こんな世界のガラクタを目立たぬ一角に集めている店主の非常な魅力の故でもあった。
 彼の紹介で、マコンデ彫刻を扱っている他の店にも足を運ぶようになったころ、折しも博物館でマコンデ彫刻展が開かれ、その魅力にますます取り憑かれた。結局、10年くらいの間にちょうど10体の彫像を買ってしまった。

その幾つかを紹介しよう。

  マコンデ小1  マコンデ小2 

 高さ60cmほどの彫刻である。台座にあたる部分を見てよく解るが、エボニー(黒檀)の木は、大部分を占める中身は黒いが、外側は白っぽい、皮は薄茶だ。たいていの作品は、このように白っぽい部分まで残している。この作品は、とても不安定で、いかに彫刻前の木の形がゆがんでいるかが分かる。おそらく作者は、この木の紆余がもつイデアに従って鑿を振るったのであろう。

 小生はまずこの作品のスタイルに魅了された。なんと見事なスタイルだろう。不安定のなかの安定。重心の位置の微妙な計算は、魂の軽やかさを保証している。そんな感じだ。どちらが正面というようなものではない。どこから眺めても、それぞれのいわば意味があり、その立体的総合は、結局一つの〈作品〉を目指している。

    子供up3
     上部のアップ

一見、二人の人が重なっているように思われる。しかし脚は二本しかない。子供が母親におんぶしてもらっているのかもしれない。それなら、母親の頭部は非常に単純化されているし、見ようによっては、象徴化された女陰のように見える。マコンデ族にとっては、それは土地の豊饒と生命のシンボルであって、そういう目でもって見れば、作品全体が自然のリズムを表しているように感じる。

 次の作品は1m20cmを超えて、重い。 

  レズ上半分
      上半分

 レズ腹
     腹部  
 レズ頭部 
     頭部アップ


 明らかに二人の女性が絡んでいる。さらに蛇が纏いつき一人の頭に喰らいついている。しかしエロティックという語の現代的意味の衰弱した目でもって見てはならない。彼らにとって蛇は再生のシンボルであり、それに喰らいつかれている女性は、呪術の威力によって減弱した精力を回復しつつあるようだ。その精力とは種の維持を超えて、生きんとする根源的な力とつながっている。また一つの乳房は腰のあたりに付いているが、マコンデ彫刻の世界では珍しくない。体の一部はたんに一部であるのではない、体のどの部分にでも連続しており、それどころか生者と死者、自然のあらゆるものと融合しうるものなのだ。生命は自然の隅々にまで浸透し、全体は個を含み、同時に個は全体を含んでいる。

 これは、大阪万博の出品作の一つである。高さ1m強。一番初めに手に入れたものだ。

    木の妖精1

    木の妖精up
               上部のアップ            

木の皮と白っぽい皮質の部分を後ろに残し、浮き彫り風に仕立てている。三匹の木の妖精であろうか、一番上は目をきっと見開きこちらを睨んで、その鼻は大きく強調されており、下の二匹の子供を守っているようである。呪術に縛られた世界では、精霊はわれわれの生命力に対して、善意に働くか悪意をもって働くかが、とても強い関心事である。これはちょっと怖い。

 これは具象的な作品である。高さ40cmくらい。左手でトウモロコシを喰らっている。右手に持っているものは何であろう。果物か何かの器具か。左足で支えているものは粉ひきの道具か、よく解らない。

    お爺さん前

    お爺さん背部

具象的と言っても、よく見れば、体に対して頭部が大きく、扁平化しており、腕や特に脚が華奢だ。だが、何よりもこのバランスがいい。日日仕事に従事し、手を休める時間があらばこそ、大急ぎでトウモロコシを喰らう男の無頓着な姿には、じつに生命の存在感そのものが溢れている。

 これらの作品の作者は分かっている。1960年代は、この様な名人がけっこういたようだ。もちろん中には単なる形式的・表面的な模倣品を創るような彫刻家もいたではあろうが…。しかし、その後の国情不安定の下、小さなお土産品はしばしば見かけるが、あの彼らの〈芸術〉は、今はどうなっているのであろうか。
    

        


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テーマ : art・芸術・美術 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

African art

未見太郎さん、こんにちは。不思議にまだ元気に生きています。

仰るように、彫刻も、白い木と黒い木とでは、ずいぶん趣が変わりますね。

2012年のblogで写っている彫像は、アフリカ物のですが、マコンデとは・・・
よくみると、なんとなく違うでしょう。あれは、ブルキナファソのもので、
真鍮製です、新しいものだと思います。あのへんは、むかしから真鍮工芸が
盛んで、Yoruba文明の15世紀に創られたお面が20世紀になって発見されたとき、
西洋人はものすごく驚いたそうですよ、これはギリシャのものかと。
ともあれ、African artはartというののの源泉を考えさせますね。
 
あれちょっとジャコメッティみたいでしょう。モダンと感じるのは、
文明国の芸術家が20世紀になってafrican artを取り入れてきたから
ではないでしょうかね・・・。

プリミティヴなのにモダン・・・・。

 
うたのすけさん、お元気でお過ごしのようですね。

華奢でもシャープ、黒光りするので、生き生きと力強い、黒い素材って不思議ですね。

いっぽう、日本人の扇子に使われる黒檀は、硬い原料からあのように繊細でゴージャスに出来ていて。

これは、マコンデ彫刻というのですね、初めて知りました。

でも、過去記事 2012 6月6日 (初夏の生活)の終わりの画像で、すでに心惹かれてましたよ。

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