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谷崎文学一面

知人とちょっと近代日本文学についてしゃべっていたら、また何か小説を読みたくなって、谷崎潤一郎の『卍』を読み返したんだけど、なかなか面白いね。とくに語り口がなんとも。関西弁が効いている。落語的エンターテインメントというのか、まあ、ありそうもない滑稽な話ではあるが、よく考えて見ると、いやいや現実のあり様そのものであるわ。つまり人間は美や性欲にとりつかれたら、どんな悲喜劇をも大真面目に演じるものだ。

 それから、もう一つの主題。とはいっても作者はそんな風なことが言いたいのではないと思うけど、〈世間〉というものの緊縛の強さなんだ、なぜ人は世間の噂にかくも強い恐怖を感じるのか、直接何の危害も加えるわけでもないのに。まあ、いま時分の子供ら、ラインというのかしら、友達と思っていた子に、一旦悪いうわさが広められたら、えらくいじめられるという恐怖をもって生きているらしいね。仲間から疎外されることの恐怖。ここからまた人は喜劇を演じなければならぬ。これが物語を前に前に進める。

 谷崎っていう作家は、書き始める前から、しっかり計画を立てて書いていくタイプではない、と本人も言っている。そこが、彼の作品の幾つかの終わり方を唐突で、意外に単純なものにしている。中期の傑作群では、中世の文学や伝説から物語は始まり、鼓、琴、あるいは三味線の音を背景に物語は展開し、終わりかたは、謡曲風の幻想、例えば、『八島』のキリ√春の夜の波より明けて、敵(かたき)と見えしは群れ居る鷗、鬨の声と聞こえしは浦風なりけり、高松の朝嵐とぞなりにける・・・とでもいうようにfade away する。後年の傑作『少将滋幹の母』は、ちょっと蛇尾って感じ、まあこの辺で終っておこうとう感じがする。要するに谷崎の作品は、もちろん面白いのだけれど、計画性がなく、どこで終わらせてもよい、という印象を与える。『蓼食う虫』は、謎めいた終わり方で、それがかえって、茫洋とした印象を残している。

 『蓼食う虫』は、優柔不断で新しいタイプの若夫婦と昔風の頑固親父。若い夫婦はすでにセックスレスで、お互いに別れることに決めているが、それを実行する具体的な時を言いだすことができない。妻の方の頑固親父は、伝統的な日本的感性を、とはいっても江戸時代のいわゆる下町情緒を、根底にもっている。その象徴が、この作品では文楽なんだな。若い夫婦がいくら新しいタイプの人間といっても、やはり根底には世間を恐れている。だから、おそらく彼らの行く末は、結局親父の言うとおりになるのだろう。

 それにしても、谷崎の好む下町情緒、これは荷風のような「下品」なものではない。それは洗練された上方の三味線の音であり、着物の柄である。『卍』においても、目に付くのは、二人の女性が交わす手紙の絵柄の美しさであり、他の彼のすべての作品においてそうであると思うが、とくに『細雪』においては、着物の絵柄の美しさの頻繁な描写には、興味のない読者は辟易してしまうであろうけれど、それは『源氏物語』を、そのなかでもとくに紫の上の感性を連想してしまうね。

 そういえば、昭和18年、陸軍省の圧力で『細雪』の連載が禁じられたそうだが、あの時代に昭和時代を画する作品を谷崎が書いたことは、おのれの芸術のみに身をささげた彼の〈図らずも〉の反時代的行為になった、つまり、戦前の、よく軍国主義だということで非難される時代がじつはかくも見事な伝統の美を蔵していたことが、戦時中に突如として発表されたことは面白いね。あっぱれ、大拍手。



       

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