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読経の声

わが家のお寺は浄土真宗である。葬式やら法事やらでお坊さんが詠うお経が長たらしくて、いつも苦痛に感じる。だから、このところずっと法事は断っている。お金だけ出して、そちらでよろしくやっといてください、という塩梅である。この苦痛はなぜなのか、考えて見るに、あの坊さんがお経を詠うあいだ畏まっていなければならない。それから、あの文句というか歌詞というかが気に食わない。内容はよく分からないけれど、とくに「ナミアブダブツ」が気に食わない。あの音楽というか、抑揚がとくにイヤだ。なんか田舎っぽい。ちょっとしか聴いてないけれど、他の宗派の歌のがずっと洗練されているように感じる。それから、決定的には、あのお坊さんの声が気に食わない。やや高音で、割れたような嗄れ声だ。これで「ナーモアーミダーブウー」と何回もやられたら、気持ち悪くて汗が出てくる。
ましてや、もし死んでからもしばらくは音が聞こえるとしたら、あの窮屈な棺桶の中であれを聴かなければならないとしたら発狂モノだ。

 それで、あるとき知人に、違う宗派のお寺に換えたい、真言宗なんかは銅鑼など鳴りモノがあって歌も楽しそうだし・・・、と言ったら、換えないほうがいい、浄土真宗のほうが安上がりだからという。しかし、お布施料なんかそう違うものなのか。小生は、多少高額でも、いい声で詠ってくれて、袈裟もあでやか、鳴りモノつきのグッド・パーフォーマンスをやってくれれば、その方がいいと思う。

 つい先日、『古事談』(鎌倉時代に書かれたゴシップ集)にこんな記事を読んだ。題として「頼宗(藤原道長の息で右大臣)、定頼(公任の息)により読経練磨の事」とある。要するに、頼宗が、読経の名人である定頼に、読経を教えてもらう話だ。

 頼宗は定頼について読経を習う。中宮彰子のサロンに、小式部内侍という女房がいた。この人は和泉式部の娘であって、母と同じく、好色であった。頼宗も定頼もこの女を愛した。あるとき、定頼がこの女房の部屋を入ろうとして覗いたら、ななんと、頼宗はこの女房と抱き合っていた。先手を取られていたのですな。そこで定頼は得意の美声で法華経を読んで帰った。と、女房は歓喜のあまり、頼宗に背を向けて大泣き。頼宗も枕に涙を流してしまった。頼宗は定頼に負けたと思った。それからというもの、頼宗は一大決心、法華経を読むこと万回にして、覚えてしまった。

 本の注には、頼宗は愛欲に溺れる自分の迷いから法華経で抜け出すことができた、というように書いてあるが、そうかなぁって思いません? むしろ定頼の美声によって、女の心を取られた、それほど読経というのは男の魅力であるのだ、と気付いたのではないのかな。

 平安時代の物語などでも、よく読経のことに触れていますが、当時は、読経を詠むということは、いわば芸能であって、自由なリズム、節廻しで、オペラ歌手のようにいかに良い声で詠えるか、これが当時の貴族の教養の一つであったよう。定頼は法華経を、きっと往年のドミンゴのような声で詠ったのでしょうね。


       

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テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

すべては音楽なり

未見太郎さん、こんにちは。

面白い話でしょう。それぞれの人は、それぞれの、どこかいいところがあるものですね。歩く姿だの、口元の皺だの、ちょっとした仕草だの、黙っている雰囲気だの、・・・なかでも、声の魅力はセクシーなものですし、仰るように、その人の人格が出ているような気がします。また年齢も出てしまいますね。
また直接聞くよりも電話で聞く声がとてもいい人がいますね。声ばかりではなく、話し方とか、間の取り方だとか、アクセントだとか・・・。
やっぱり日ごろから歌をうたっている人の声は、聴きとりやすくていいなと思います。

あきもせず 人の声きく この世かな   雅楽

なむ~

うたのすけさん、 古事談ゴシップ面白いですねぇ。

声というのは、聴き手をうっとりさせようと思えば、お坊さんのように、発声の鍛錬をつんだ人なら、出せると思いますが、それは対象を見据えての、しょせんは(作り声)、でもコロっといってしまったのですね。

普段の自然な語り声で全人格が表れるという説もありますが・・・・。

いつも威張ってる人がお気に入りの女性に初めてかける電話の声が少年のようだったりするのを 面白いとかんじます。

お経の発声も作為的ということでしょうか。
「もっと、お布施をよろしく・・・・・」かも。

先の世も 楽の音めでたし 秋の夢    未見坊

なまんだ~なまんだ~

おお、淡青さん!
なんかいつもお元気そう。

実にうっとりするほどのいい声の和尚さんもたまにはいますね。

ご帰国ですか。仲間と紅葉狩りですか、いいですなぁ。
連れて行ってくれるのですか・・・嬉しい!とはいえど、せっかくの句会に無粋な臭味を加えると思うと、どうも気が乗りませんなー。
 
まあ、ともあれ今は、秋の乾いた空気と柔らかい日差しの中にいるだけで、極楽、極楽、って感じです。

 先の世は 分からぬと決め 秋の床  雅楽

南無阿弥陀

お久〜、うたのすけ殿!、

ますますの知性の面白さの貴ブログを堪能させていただいています。

ほんまにお経の良し悪しは大事なことでおます!

今春、法事に参加して和尚様の後ろでシニア向け大字経本を
みながら唱えてみたのですが、お寺を継いで間も無い若い和尚は
昔の和尚様のような重厚さがお声にもなく、なにやら
がっぱりの感でしたのよっ、

今年は11月にまた帰国しますが、私の俳句ブログのブロ友(2人)さんのもうひと方のお夕さんと滋賀でお会いする予定なんですが、うたのすけ殿はどうなさいますか

先の世が あると想いし 秋の夕暮 淡青




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澄み濁るをば神ぞ知るらん

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