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シネマ歌舞伎

先日、映画で歌舞伎、「籠釣瓶花街酔醒」(かごつるべさとのえいざめ)を観た。田舎から江戸に出てきた、あばた面の単純で金持ちの絹商人が、吉原一の花魁(おいらん)に惚れて、結局は捨てられる話だ。
 
 この絹商人である次郎左衛門は勘三郎。花魁、八ツ橋は玉三郎。平成22年の舞台である。

次郎左衛門は単純でお人よし、一目で八ツ橋に惚れてしまい、一途に吉原に通いづめ、とうとう身請けの約束までするが、いよいよという時になって、八ツ橋の昔からの情人の知るところとなり(この場面は権八という焚きつけ役の働きが面白いのであって、知っている人は誰でもオテロを思いだすに違いない)、そのため彼女は、不本意にも、大勢の人前で散々悪態をついて、身請けの約束を反故にしてしまう。まさかの話に次郎左衛門は茫然自失。訳を知った彼は、事情を了解し里に帰るが、その後、久しぶり吉原を訪れ、彼女と和解すると見せかけ、持ってきた刀で殺してしまう。

じつは、この演目は、大学時代に観たことがあって、今回映画を見ていて、その時の舞台が彷彿としてきた。その時は、花魁が六代目歌右衛門、次郎左衛門が先代幸四郎だった。六代目歌右衛門は、玉三郎と同様とても妖艶だったけれど、その眼差しには、ちょっと凄みのある、こちらが蛇に睨まれた蛙になったような、一種抵抗できないような冷やかな誘惑の趣があった。それに較べると、玉三郎はむしろ美々しく、薔薇の花のような甘い色気がある。

今回の勘三郎の演技はとても細やかで、あのときの幸四郎はむしろ粗野な印象を与えたように思うが、何分ずいぶん昔のこと、この漠然とした記憶はあてにならない。

それにしても歌舞伎の面白さは、やはり演技、つまりその物語の流れや状況に応じたちょっとした所作の的確なタイミングと、見得を切ると言うように、ある重大な心理的瞬間にそれに相応しい型を見せるところにあるのではないかな。舞台背景や衣装の見事さ、ストーリーの面白さや奇抜さは、大して問題ではないな。というより、そんな物に頼っているようでは本格的ではない。

しかしまあ、映画となると、一人の演者の演技はアップでしっかり見ることができてよいが、全体が見れない、離れた両演者の演技の掛け合いが見れないことがある。つまりカメラマンや編集者によってけっこうセレクトされていて、いわばそういう強制の下でしか観ることができない。それに、なかなか掛け声がしにくいのが難点だ。


              


              
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