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選挙権など

 最近、選挙権が20歳から18歳に変更されるということで、不安を感じるという意見を耳にする。また、高校では先生が国政についてどのように教えたらいいのか難しいという。小生に言わせれば、高校では、目下のわが国の政治状況の主だった所を教え、それについて各政党や各国の意見をすべて紹介し、生徒たちに議論させればいいではないか、と単純に思う。

 ところで、話は変わるが、小生は天邪鬼である。例えば、祝日には国旗を揚げる。何十年も前からそうしている。この地区で揚げている家は二軒くらいだ。ところで、もし時代が変わって、ほとんどの家が国旗を揚げるようになったとしたら、その時は、小生は揚げないようにしようと考えている。つまり、人と同じことはしたくないのだ。それほど天邪鬼。ひねくれ者なんだ。以下は、そういう者の意見である。

 小生は、議会制民主主義なるものによる政治は、「船頭多くして船山に上る。」と同義語だと思っている。だから以前は選挙には行かないほうがいいと思って、行かなかった。

 ある時、近所にドイツから来た先生がいた。小生が「選挙には行かない」と言ったら、彼は、「選挙に参加しないのだったら、どんなことになっても政治的な口出しをしてはいけない」と言った。小生答えて「政治には何の興味もないし、不平不満もない。どうなっても文句を言うつもりはない」と。しかし、いつ頃からか、小生は堕落して、多少の不平不満を口にしたりするようになった。そのころから選挙に行くようになった。

 ところで、人間というものは、どうも上等の生き物ではないから、為政者でもちょこちょこ悪いことをしたり、甘い汁をすったりするものだ。まあ、それほど大したことはないがね。それにしても、こんな平和が飽きるほど続くと、かえって、誰か、政治家でも草莽でもいい、松陰とか西郷のような、偉大な大犯罪者・大殺人者が出てきてくれれば何と面白かろうと期待してしまう。

 世には変わった人が沢山いる。民主主義体制はそれらの人すべてを許容しなければならない。

私は国家を認めない、コスモポリタンである、と公言している人もいる。(もっともこう言う人は、おうおうにして安全な国家の中で心安らかに生活しているものである)。

あるいは、こんな生ぬるい平和な地域には住みたくない、スリルのない人生なんて生きるに値しない、と言って、犬ぞりで北極圏を横断しようとしたり、戦闘地域での戦いに参加しに行く人もいる。

あるいは、私は動物を殺すことに無限の快感を感じる、できれば人間も殺してみたい、という人もいる。

あるいは、人間はみな平等である、皇室は金の無駄遣いであるから廃止すべし、人間も犬猫と同じく、食べて寝てウンコする動物である、と主張する共産党の人たちもいる。

そうかといえば、人類は堕落している、もっと霊的に昇華しなければならない、まず彼らをサリンで皆殺しにして、その後、大平和国家の建設に取り掛からねばならない、という壮大な理想に燃えた人たちもいる。

挙げようと思えばきりがない。が、とにかく人間は一筋縄ではいかぬ生き物だ。民主主義体制の国家は、こういう変わり者の集団を排除せず、まとめていかなければならない。これがどんなに大変なことか、民主国家がどれほど危ういものかと、プラトン翁も不審している。

独裁国家というと人は悪いイメージをもつが、徳川時代は軍事独裁体制であった。いかなる理由があっても、体制を少しでも揺るがすような罪を犯せば、問答無用の斬首。しかし、そのお陰で、250年の平和のうちに、人々は安心して仕事にいそしみ、なんと多くの学問や演劇絵画などの諸芸術が栄えたことであろう。

われわれは、政治に関心がなくても幸福に暮らしていけるし、政治に大いに関心があっても不幸たりえる。もし、幸福が大事であるなら、まず自分が幸福にならねばならない。
小生は、徳川時代に生きた良寛のことをよく考える。小生は彼の書の魅力を歳とともに解るようになった。彼はごく自然に、素直に、怠け者として生きた。誰でも知っているように、彼は托鉢すなわち他人からの施しで生きていた。子供と遊ぶこと、好きな本を人から借りて読むこと、詩を書くことを、心から喜んだ。服は一揃え、布団も一枚あればよく、それ以上のモノをもらえば、人にあげた。住まいは風雨をしのげる小部屋があればよく、小さな机と書く物があれば、それで満足だった。彼の明るい素直な人柄は村の人々を惹きつけた。政治に関心を持とうと叫ぶ社会改革派の人々は、良寛のことなど知りたくないであろう。

自由・平等・博愛そして人権も加えるか。そういったものを訴える人々はどういうつもりなんだろう。その心のルーツは、王や貴族らをギロチンにかけ、その首から血が迸り、頭が落ちるのを見て、拍手喝采することだった。それは、共産主義のルーツと同じく、一言で定義できる、―ルサンチマン。

          *

政治とは、国民から税金等で得たお金をどのように配分するか、それを決めることなんだな、ざっくり言って。そういえば昔、ある評論家が、選挙権などは仕事をしている人(金を稼いでいる人)にのみ持たせるべきだ、だから15歳でも仕事をしていれば選挙権をもつべきであり、30歳でも脛かじりは持たせない、また専業主婦には持たせない、と書いていたな。これはすっきりしていい考えだと思ったが、家事も立派な仕事であるという風潮である現今、通らない意見だろうな。

お金の配分を決めるには、政治家たちが何に価値を置くかによって決まる。願わくば民族の伝統ある宝を大切にして欲しいものだ。しかし、本当の価値は個人の生き方を通してしか顕にならないのではないかな。

われわれ凡人には幸福が一番大事なのだろう。しかし、小生は、例えばゴッホの生涯を想うとき、あやうくノーと言ってしまいそうである。彼は、その性格ゆえ、若いころから携わる事ごとに裏切られ、遂に画家という天職を得るのだが、ほどなく精神の病に侵され、病院で過ごす。病は昂じて37歳で自殺するに至る。売れた絵は生涯で一枚しかなかった。ただ一人、彼の弟だけが彼の天才と苦しみを理解した。そういう彼の生涯と絵を想う時、幸福は価値ではないと、はっきり言える。  不一


     

         

         
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